「本当はもの凄く好きな言葉なのに、自分が小さいばっかりに忘れようとしていました」
「情熱」などなくても生きていけますし、むしろ「情熱」の反動で苦しむのなら無くてもいいくらいに思っていたのでしょう。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【情熱】強い火の心を継続させて燃やす方法は?|言葉の小槌52
【情熱】
「情熱」という言葉には、心躍る、ワクワクする、あれば素晴らしいといった、暗さとは反対にあるイメージがありますが、私にその感覚が戻ってきたのは最近のことです。
私が「情熱」をひどく失っている時には残酷な、自分とは関係のない言葉のように感じていました。
「情熱」に申し訳なかったと思います。
本当はもの凄く好きな言葉なのに、自分が小さいばっかりに忘れようとしていました。
「情熱」を失うには大きく二つの要因があるように思います。
「傷心」と「奴隷」
「傷心」とは失恋だけでなく、何かしら心に大きな傷を負うような出来事のことで、特に「情熱」を持って臨んでいたことに夢破れた時は無惨です。
「奴隷」とは精神的奴隷というのか、生活の為に、お金の為に自分を押し殺し続けて生きることです。
共に「情熱」を失うには強力過ぎる力があるように思います。
私は最近までこの二つのロックを自分に掛けていました。
もちろんその時は自分を奴隷だとは思っていませんし、まず「情熱」なんてことは考えません。
「情熱」などなくても生きていけますし、むしろ「情熱」の反動で苦しむのなら無くてもいいくらいに思っていたのでしょう。
もう自分自身だけの力では「情熱」を取り戻すことはできなかったでしょうが、新型コロナウィルスが大きなきっかけになり、外部からの大きな力で強制的に壁が破壊されたおかげで、久しぶりに外の景色を見ないといけなくなったことで、眠っていたものが動き始めました。
長い間、塀の中にいると仕方なしにでも外に出た時は、怖かったです。
お化けが恐いとかジェットコースターが恐いといった恐さとは違い、説明できませんがとにかく怖くて「疑心」ばかりが起こりました。
心の奥の方では良い傾向だと感じ取っているのですが、また痛い目に遭うんではないだろうか?とどこかで「情熱」を思い出すことを拒否していたのだろうと思います。
周囲の人達のおかげで、少しづつリハビリができ、こうして「情熱」のことについて、正面から向かい合ってまさかブログを書いているなんて、自分自身に驚いています。
これまでの経験から今回の「情熱」が一気に燃え尽きてしまわないように、薪はちょびちょび足していくつもりです。
「情熱の炎」が燃え尽き、灰だけになってしまわないように、小さくてもいいからしぶとく燃え続けるように工夫してみようと考えています。
薪が燃え尽きるのなら「ガス」を使うとか、「ガス」が止められたら「メタンハイドレート」を使うとか、無限にある「地熱」を利用するとか、そんな風にあの手この手を使ってでも今後、私の「情熱の炎」は燃やし続けたいと思います。
すぐ燃え尽きそうになる癖がありますので…
HanaAkari