「灯籠流し」のように送ってもらえたら、お別れは寂しいながらも、送り手の気持ちが優しく伝わり感無量で帰ってゆくことができそうです。
私は「お盆」と「ライオンズゲート」は表現が違うだけで、「同じ何かしらの何か」のように思います。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【灯籠流し】お盆とライオンズゲートの灯がともる|言葉の小槌66
【灯籠流し】
お盆の時期には死者の霊が帰ってくるといわれます。
その死者の霊を弔って無事に帰って頂くための、送り火が「灯籠流し」です。
「灯籠流し」のように送ってもらえたら、お別れは寂しいながらも、送り手の気持ちが優しく伝わり感無量で帰ってゆくことができそうです。
お盆の月の一日(ついたち)のことを「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と呼ぶみたいで、「地獄のふた」が開く日らしいですが、「地獄のふた」とは「死者の世界の門」のことなのでしょうか?
「天国のふた」は開かないのだろうか?疑問なのですが「死者の世界の門」と解釈すれば「天国のふた」も「地獄のふた」も両方開くと推測できます。
私は「地獄」とかおっかないイメージのものは単独で表現すると、嫌な方向に向かってしまうように思いますので、いつもその対になる「天国」と抱き合わせてイメージして欲しいなと思います。
子供時分にお盆の時期は「足を引っ張られるから」海水浴に行かないようにと、母から良く言われましたが、まさにマイナスイメージの独り歩きのような感じです。
「死者の霊が帰る時に一緒に連れて行かれる」ということで、海水浴は駄目だということでした。
確かにお盆の頃からはクラゲも多く出だして、海のコンディションが海水浴には不向きになっていくことから、諸々のことを結び付けてそう言われていたのかもしれません。
私なりに最近知ったことをお盆に結びつけるとしたら、「ライオンズゲート」と「お盆」は結びつくのではないかと思います。
「お盆」と「ライオンズゲート」は、もしかしたら同じ?
最近「ライオンズゲート」という言葉によく出会います。
全くご縁が無かった言葉ですが、近頃は「風の時代」と同じような感じで世間に浸透している印象もあり、スピリチュアル系の言葉のようですが、それ自体随分と社会的に容認されてきている感じがします。
「お盆」だって冷静に考えてみたらスピリチュアルな発想ですので、だだ「ライオンズゲート」とはこれまでのキャリアで知名度が違うだけのように見え、「お盆」と「ライオンズゲート」の時期と内容は似ていますので、もしかしたら同じではないかと思います。
「ライオンズゲート」とは「宇宙のエネルギーの扉」ということで、7月26日頃から開き始め、8月8日に最も開き、8月12日頃に閉じていく扉のことです。
強力な宇宙のエネルギーが降り注ぐので、良きにも悪きに強く影響し、体調にも異変が起こる人もいるそうです。
時期に若干のズレがありますが、そもそも感覚的なことなので誤差の範囲だといえますので、私は「お盆」と「ライオンズゲート」は表現が違うだけで、「同じ何かしらの何か」のように思います。
日本の広島と長崎に原爆が落とされた日が、8月6日と8月9日だったのにも関係がありそうだと想像が膨らみますが、それこそ「神のみぞ知る」です。
「タイ」にも「灯籠流し」と「天に昇る灯籠」がありました。
「タイ」の「チェンマイ」で、「ロイ・カートン」いうお祭りの日に居合わしたことがあります。
タイの太陰暦の12月の満月の頃(毎年11月頃)に行われるお祭りです。
川の女神に感謝の気持ちを伝えることと、自身を清めるという意味があるそうです。
私も竹のような天然素材で出来た灯籠を川に流しました。
また籠に入った小鳥が売られていて、買って放してあげると願いが叶うということでしたので、一羽放しました。
私の放した青い鳥は今どうしているのでしょう?(小鳥は確か雀のような色でした)
「チェンマイ」の「ロイ・カートン」は空にも灯籠(ランタン)を放ちますので、これが圧巻でした。
夜空いっぱいにランタンがゆっくりと上って行く様を地上から見上げていると、その光は何処までも高く上り、小さく消えてゆきますが、次から次へと放たれるので幻想的な光景が尽きないのです。
空に吸い込まれそうな感覚になり、ゆらめくランタンが「空飛ぶクラゲ」のようでした。
古い記憶ですが、印象深い経験ですのでよく憶えています。
調べてみますと「ロイ・クラトン」と表記されているのですが、私の思い出を大切にしたいので「ロイ・カートン」を使いました。
私の誤った記憶かもしれませんが、特に問題があることではないと思いますので、ご了承ください。
HanaAkari