旅の玉手箱【トゥクトゥク】〈乗り物編-5〉

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旅の玉手箱〈トゥクトゥク 旅の玉手箱〈乗り物編〉
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タイの三輪小型タクシー〈トゥクトゥク〉。通常のタクシーよりもリーズナブルな乗車運賃で、便利なので結構利用しました。風切って走るので爽快感があり、乗っていて楽しい乗り物でした。
トゥクトゥク
トゥクトゥク
定員規制とかが無かったのか?乗客用の後部座席にぎゅうぎゅう詰めで乗ったこともあります。普通に乗れば3人乗れば窮屈ですが、膝の上にも人を座らせて6人くらいで利用したこともありましたが、そのような何でもあり的なところがアジアらしくて楽しかったです。一人で利用すると爽快感があり、それはそれで気持ち良かったです。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【トゥクトゥク】タイでのラブストーリー|旅の玉手箱 乗り物編-5

トゥクトゥク】

日本でもタクシー営業はできませんが、「トゥクトゥク」の購入はできるみたいなので、オート三輪「三輪バタバタ」の復活になれば面白いのになと思ったりします。

タイでは今でも現役の小型タクシーとして活躍中のようですが、アジアの風景に馴染んで見えるのか?とても自然で、楽しいものでした。

寒くない国なので、乗客として後部座席に座っていても、風切って走る爽快感を感じることが出来ましたし、チェンマイのような地方の町ですと、街並みを観察しながら景色を堪能できましたし、バンコクのような大都会では、屋根以外は解放された作りなので、都会の喧騒、町の雑音、排気ガスの黒い匂いなどが、楽しめました。

当時私には、バンコクの空気は排気ガスの匂いが充満した、排気ガスまみれのもので、ねっとりとした蒸し暑い黒い空気の中にいるように感じることもありました。

トゥクトゥク

時折冷房の効いた密閉された空間に行きたくなったのは、暑いだけではなかったと思います。

当然、出歩くと鼻の穴が黒くなることもありましたが、インドほどでは無かったです。

「カオサンロード」から近いショッピングセンター「セントラルプラザ・ピンクラオ」までよく利用しました。

初めてバンコクに来た時の事ではないのですが、安宿街カオサンロードから近いショッピングセンター「セントラルプラザ・ピンクラオ」に涼みに、よく「トゥクトゥク」を使って行きました。

当時バンコクでデパートや高級な洗練された都会的な場所で有名だったのは「サイアムスクエア」でしたが、宿泊しているカオサンロードからは少し距離があったので、ちょっと涼みに行きたくなった時には、「セントラルプラザ・ピンクラオ」が近くて便利でした。

行き先に「ピンクラオ」と伝えて、「トゥクトゥク」に乗り、カオサンロードの側を流れるチャオプラヤー川の橋を渡り、しばらく真っすぐに行くとすぐに到着するので気軽に行けました。

ローカルバスでも行けるのでしょうが、その頃は節約バックパッカースタイルに疲れてきていたのか、飽きていたのか、「トゥクトゥク」を利用することが多くなっていましたし、バックパッカーを始めた頃には、宿泊料金が高いので絶対に泊まらなかった、クーラーのある部屋に宿泊する時もありましたので、「ピンクラオ」に行く時はいつも「トゥクトゥク」を利用していました。

トゥクトゥク

「トゥクトゥク」ラブストーリー

この「旅の玉手箱」の題材にしている約2年2カ月の期間の後、数年間の間に比較的短い期間のアジア旅行を何度かしているのですが、俗っぽいことに特化して考えるのなら、あの頃が私の人生の絶頂期だったと思います。

好き放題やりたいことを平気ですることが出来た時期でした。

私は今はこのような考え方はしませんが、私の人生は「その時のツケが、その後にまとめてやってきた」という表現がぴったりと当てはまる展開になっていき、それはそれである意味全盛期とも思えますが、ここでは触れないようにします。

トゥクトゥク

一つの人生の絶頂期の頃に、当時お付き合いしていた韓国人の彼女と、タイで落ち合う段取りをしたことがありました。

それには韓国人の友人Sさんの事情も絡んでいて、どうせなら全部まとめてみんなでタイで会いましょうといったことになりました。

決めた時期にバンコクで落ち合う予定で始まった計画でしたが、私も彼女もそれぞれ自分の旅行へとカスタマイズしたタイ旅行にしていました。

私は1カ月程先にタイに行ってからすぐに飛行機を手配して、インドネシアのバリ島に行って戻って来る段取りで、彼女は友人と2人でタイ国内を旅行する計画を組みました。

私がバリ島に行った理由は、もう一度行ってみたかった気持ちと、バリ島の隣のロンボク島でインドネシア人と結婚して暮らしていた、日本人女性Hさんに会いに行くためでした。

インドネシアからタイに戻った私は、バンコクでの約束の日までは少し日にちがあったので、その時タイ北部の町チェンマイに住んでいた、日本人の友人Yさんを訪ねてみました。

韓国人Sさん、日本人Yさんのことは「旅の玉手箱〈タイ編〉バンコクとチェンマイ」で触れていますので、良かったらそちらも読んでみて下さい。

チェンマイで彼女と奇跡的な再会をしました。

Mさんに会いにチェンマイに行き、インドで知り会ってから久しぶりにお酒を飲みながら、色んなことを話しました。

その頃には連絡のやり取りは、無料のEメールを使っていましたので、バックパック旅行を始めた当初よりは、簡単に連絡を取り合うことができるようになっていました。

大体のバックパッカーは無料のHotメールか、yahooメールを利用していて、時々インターネットカフェに行ってメールボックスを確認して、やり取りをしていました。

ですので、スマホのように手元では分かりませんので、時間差が起こる場合が多くありました。

好き勝手に旅行することが性に合っているような人達は、私も含めて自分の都合のいい時にしかインターネットカフェに行きませんのでなおさらでした。

チェンマイのインターネットカフェで、久しぶりにメールボックスを見たら、彼女のタイでの旅行の予定が書かれていて、友人とは一時、別行動でチェンマイに行くとのことでした。

ちょうど私がチェンマイに滞在しているその時に、予定では彼女もチェンマイにいることになっていたので、嬉しくなってすぐに会いたくなりましたが、「私も今、チェンマイにいる」「どこどこのゲストハウスに泊まっている」といったメッセージを残すことしかできません。

それが夜だったので、次の日に町中をウロウロしていたら会えるかもしれないと思い、チェンマイ散策を兼ねて一日中探して周りましたが、見つけることができませんでした。

当然といえば当然なのですが、チェンマイはさほど大きな町ではないですが、端から端までが見えているような小さな町でもありませんから、普通では可能性はほとんどありません。

バンコクのカオサンロードのように1ヵ所に安宿が集中しておらず、ゲストハウスは色んな場所に点在していたのも不都合でした。

トゥクトゥク

一日中掛けて探してみたけど見つからず、インターネットカフェにもメッセージが残されていないか確認に何度も行きましたが、メッセージはナシ、新たにメッセージを送りますが、当然すぐに返信があるわけでもなしで、友人のYさんに相談するも当然ですが、アイデアなしでお酒の量が増えただけでした。

あの頃私の中の感情の昂ぶりは、最高潮に達していたと思いますが懐かしいものです。

冷静さを欠いていたのは間違いないですが、諦めきれない私はまた次の日に探しに出ました。

こうなったら宿を当たって行くしかないと考え、旅行者は国籍で宿泊する宿が偏る傾向がありましたから、例えば日本人がよく利用するゲストハウスのように、韓国人がよく集まるゲストハウスもありましたので、その情報を仕入れて「トゥクトゥク」で訪ねて回りました。

すると奇跡としか思えないのですが、私の乗った「トゥクトゥク」がカーブを右に曲がった時に、対向車線の「トゥクトゥク」とすれ違った時のことです。

「ああ~!」と男と女の声が上がったのは、私と彼女の声でした。

偶然に彼女の乗った「トゥクトゥク」とすれ違っての再会劇が、映画やドラマのような展開で非常に驚きました。

お互いの「トゥクトゥク」がすれ違う時に、思わず手を伸ばしている光景はまさしくドラマチックだったと思います。

あの時は、我ながらお目出たいことですが、世界が自分を中心に回っているのではないかと思えるくらい、有頂天で幸せな瞬間でした。

お恥ずかしいですが、「トゥクトゥク」ラブストーリーでした。

HanaAkari

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