旅の玉手箱【オートリキシャ】〈乗り物編-12〉

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旅の玉手箱 (オートリキシャ) 旅の玉手箱〈乗り物編〉
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〈オートリキシャ〉はインドのモーターバイク三輪タクシーです。日本の〈人力車〉からのアレンジされた〈力車=リキシャ〉のモーターエンジン付きタイプなので、少しくらい遠くへでも行けます。タイの〈トゥクトゥク〉のように派手は装飾はなく、丸みがある可愛い感じでした。
オートリキシャ
オートリキシャ
インド旅行中はよく利用させてもらいましたが、〈オートリキシャ〉を外国人が利用する場合は値段のことで、よく揉める事がありました。私も〈オートリリキシシャの運転手〉とは何度も闘いを繰り広げたものでした。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【オートリキシャ】問題と面白さが一体となった小型タクシー|旅の玉手箱 乗り物編-12

【オートリキシャ】

インドの〈オートリキシャ〉の格好が可愛いのは、お洒落で可愛いスクーター〈Vespa〉を改良して製造されているからのようです。

確かにインドで見かけるスクーターは〈Vespa〉が多かったです。

丸みをおびたフォルムが可愛いので、インドの〈オートリキシャ〉はドライバーは憎たらしい奴が多かったけれども、乗り物としては愛嬌がありました。

オートリキシャマン

〈リキシャ〉や〈オートリキシャ〉は値段交渉をして乗車するので、それが面倒なのと外国人旅行者は高確率でぼったくりに会い、トラブルも多かったので、インド滞在の初めの頃は極力利用を避けていましたが、次第にインドの空気に慣れてくると、そういったトラブルも楽しめるようになったので、荷物も重たかったこともあり、途中からは多用していました。

まあ、問題はあれこれありましたが、〈リキシャ〉と違い、人力ではないので、ちょっと遠くまでも気軽に行ってもらえますし、小回りが利くので〈オートリキシャ〉に頼り出すと、つい楽するのに甘んじてしまいました。

その分、色んな面白いドライバーとのトラブルもありました。

私が実際に経験した〈オートリキシャ〉でのトラブル

値段に関しては事前に現地相場の情報を仕入れたりして乗るようにしていましたが、やはり地元の人と全く同じ価格帯で利用できていたとは思えません。

自分ではしっかり交渉しているつもりでも、多少のサービスプライスで利用することが多かったのではないかと推測されます。

値段以外のことで、実際に私が経験した印象深いトラブルがあります。

オートリキシャ

伝えた場所へは行かずに、お土産物屋に連れて行かれました。

デリーでのことです。

その時までに私は何度もデリーには滞在していましたし滞在日数も長く、結構あちらこちらとぶらついていたので、デリーの地理はなんとなくですが、頭に入っていたのですが、インド人は人を見る目が無いのか?私がいつまで経っても旅慣れたバックパッカーらしく見えないのか?日本人だからか?一年以上インドに居ても、日本からやって来たインドのことなど右も左も分からない旅行者のように見られるようでした。

あの時もそうだったのでしょう。

遠くまで出かけてしまい、暑かったですし疲れたので〈オートリキシャ〉を利用して宿まで帰ることにしました。

私が〈オートリキシャ〉に乗った場所は外国人観光者などは、普通はいないような場所でしたので、〈オートリキシャ〉のドライバーには私が道に迷った挙句、たまりかねて〈オートリキシャ〉を利用したのだろうとでも思ったのでしょう、なめられたのは間違いありませんでした。

ドライバーの態度にイラついたのを憶えています。

今みたいにスマホで簡単に地図を見られる時代ではなかったので勘が頼りでしたが、走っているルートに違和感があり、何かおかしいぞという感覚がありましたので、しっかりと周囲の街並みを確認しながら注意深く構えていました。

案の定、その〈オートリキシャ〉は私の言った目的地とは全く違った場所で停車しました。

そして何を言い出すのかと思ったら「目的地まで行きたかったら、そこにあるお土産物屋で何か買ってくれたら連れて行ってやる」としゃーしゃーとおっしゃったのです。

もし私がお土産物を買うと、連れてきたドライバーにいくらかマージンが入る仕組みがあるということのは知ってはいましたが、まさかこんな風な展開があるとは思いもしませんでした。

まず腹が立ったので、土産物屋になど入ることはありませんし、怪しい人物らの関係する建物の中に不用意に入ることは何が起こるか分かりませんので、まかり間違っても中に入るのは危険な行為ですので避ける必要がありました。

「約束通り行けよ」と声を荒げても、すでになめられているので、逆に「道が分からないだろう?困るだろう?」と脅してもきました。

この時は仕方がないので、そこで降りてお金も支払わずに暴言を吐いて歩いて立ち去りました。

後ろから何か喚いていましたが、無視しました。

実は私にはその場所がどこらへんかというのが、なんとなく分かっていたので帰れる自信がありましたので、強気に出ても何ら問題は無かったのですが、歩き疲れたから〈オートリキシャ〉を利用したのに、また歩くというのが少し苦痛だったですね。

乗ったオートリキシャが途中で突然停車して、交渉した値段の倍の金額を支払わないと、これ以上は行かないと言い出しました。

オートリキシャマン

あれはバンガロールという南インドにある大都市でのことです。

バンガロールはインドのシリコンバレーと呼ばれる、インドのハイテク産業の中心地です。

確かにあの町の若者は、インドの民俗衣装のサリーやクルタパジャマを着ている人が少なくて、当時インドで流行っていたのかもしれませんが、ピチピチのTシャツにピチピチのカラージーンズ姿の人が多かったです。

カラージーンズの色もピンクとかモスグリーン、ベージュなど、日本人はあまり着ないような派手な色のもので、それがインド人には似合っていて様になっていた印象があります。

あの日私は別の町から汽車で移動してきて、バンガロールには夕方頃に到着しました。

駅から安宿までは距離がありそうだったので、疲れてもいましたので〈オートリキシャ〉を利用したのが、事の発端になりました。

愛想の良く人当たりも悪くない、推定年齢三十歳くらいの若めの英語の堪能な男のドライバーでした。

余談ですがインド人の年齢は、実のところ見た目からは判断しにくかったのと、インドでは女性のドライバーはいませんでした。

駅から出発してしばらくして橋の上に差し掛かった時に、急に停車して「ここから先に行くには倍の金額を貰わないと行きません」と言うのです。

「始まったぞ」と思いながら「ちゃんと行くように」と伝えても、当然行きません。

その時の私は腹は立っていましたが、なぜか冷静で楽しくなってきたのが自分でも不思議でした。

これまではそのようなことがあれば、怒り心頭で怒鳴り散らすことが多かったのですが、その時は静かに行って下さいと何度も伝えて、「目的地まで約束通りに行くまで、ここから降りませんよ」と言ってやりました。

もうやりとりが面白くなってきていたのです。

「別にいいけどそのまま乗ってると俺の家まで来るこになるぜ」なんて言うものですから、「どうぞご自由に任せます、チャイでも御馳走してくれるの?」「夕飯時だから夕御飯でもいいよ」なんて言いながら、梃子でも動くまい、一体どんな結果になるのか見定めてみようと思っていたのでした。

最終的に諦めたのはドライバーでした。

宿に入ってすぐに夕飯を食べに行こうと思っていたのに、思わぬところで時間を使ってしまいましたが、なかなかに楽しめたので良かったことにしましょう。

そして目的地に到着して約束通りの金額を支払って「ありがとう」と伝え、そのオートリキシャドライバーとはさよならしました。

オートリキシャ

HanaAkari

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