旅の玉手箱【ムンバイ】〈インド編-27〉

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旅の玉手箱 (ムンバイ) 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • ドワールカー
    Dwarka
    アラビア海に面したインドの西端ともいえる場所から、汽車で一気に〈ムンバイ〉に向かいました。
  • ムンバイ
    〈Mumbai〉
    大都市〈ムンバイ〉。物価が高く首都の〈デリー〉よりもハイクラスな都市だと思いました。宿泊した安宿のドミトリーで、インド人の新人社会人青年(エリートぽい)と知り合いました。
  • ナーシク
    〈Nashik〉

    〈ヒンドゥー教徒〉の聖地。〈クンブメーラ〉という3年に一度の大祭が行われる聖地のうちのひとつです。〈ムンバイ〉からは近いので汽車の2等自由座席で、軽い気持ちで聖地コレクションに向かいました。

  • ムンバイ
    Mumbai
    〈ナーシク〉から戻りしばらく滞在しました。合計すると一週間以上いたと思います。ほぼ毎日、インド映画を見に映画館に行きました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ムンバイ】目立った貧富の差、ボンベイ|旅の玉手箱 インド編-27

【ムンバイ

私にはイギリス統治下だった時の呼び名〈ボンベイ〉という名の方が、馴染みがありました。

「ボンベイ・サファイア」という、おいしいジンを思い浮かべもします。

実際に〈ムンバイ〉は確かにイギリス統治下だったというのが、はっきりと街並みに現れていました。

高級な品を売っている店が集まっていたエリアは、〈ロンドン〉の町を彷彿させるようでした。

〈ロンドン〉には行ったことはないのですが、映画〈ハリーポッター〉で見るような、石畳と洒落た石の西洋建造物が立ち並んでいるあの感じでした。

ムンバイ

クルタパジャマとサンダルの取り合わせで小汚い恰好の私には、出入りするのも憚られるようなラグジュアリーな雰囲気があり、あまりに場違いでしたので、そそくさと立ち去った記憶があります。

一度なんかは、一般向けの安いレストランで食事を摂った際に、サンダル履きを注意されたこともありました。

マナーが悪いということでしょうが、まさかインドでマナーのことで注意されることがあるとは予想だにしなかったので驚きました。

他の町ではサンダル履きは普通のことでしたし、ましてや安食堂では注文した料理に、指を突っ込んで運んでくるようなこともよくあったインドでしたから…そんなインドでマナーのことで注意されるなんて…あまりに衝撃的な出来事でした。

それほどに〈ムンバイ〉は他の地域とは、毛色が違う街でした。

英国紳士のマナーが、色濃く息づいていたのかもしれません。

物価の高さも、頭一つ抜きん出ていましたし。

かたや、ムンバイ駅の周辺にはスラム街もありました。

ガラクタを集めてきて作ったあばら家が、所せましと並んでいたのですが、〈ムンバイ〉は大都市に見られがちな貧富の差が、突出して目立った印象がありました。

ムンバイ

安宿のドミトリーで、社会人デビューした若いインド人と知り合いました。

〈ムンバイ〉は安宿の宿泊代も、他の地域より高かったので、ドミトリー部屋を利用したのですが、そのドミトリー部屋の隣のベットには、デリー出身の若い青年が宿泊していました。

外国人旅行者は一人もおらず、どうもそのドミトリー部屋のほとんどのインド人が、その青年と同じ会社の人間のようでした。

貿易関係の会社に就職して、今はその研修を受けていると言っていました。

隣になったよしみからデリー出身の青年とはよく話をしたのですが、明らかにそれなりの家柄だというのが分かる、礼儀正しい好青年でした。

ボンベイ

外国人旅行者である私は、どうしても旅行者目当てに近寄ってくる、質の悪いインド人と接する機会が多かったので、いわゆる一般のインド人と交流を持てたのは、嬉しいことでした。

多くの一般の人が、素朴で真面目に生活を送っているのはどこの国でも同じなのかもしれません。

一部の悪い人間や極端な政治家のせいで、それぞれの国に対して偏った固定概念を持ってしまうのは、良くないことだと改めて思います。

一生懸命、真面目に生きている大半の人々が、馬鹿を見ないような世界になってもらいたいものです。

HanaAkari

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