旅の玉手箱【ナーシク】〈インド編-28〉

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旅の玉手箱 (ムンバイ) 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • ドワールカー
    Dwarka
    アラビア海に面したインドの西端ともいえる場所から、汽車で一気に〈ムンバイ〉に向かいました。
  • ムンバイ
    〈Mumbai〉
    大都市〈ムンバイ〉。物価が高く首都のデリーよりもハイクラスな都市だと思いました。宿泊した安宿のドミトリーで、インド人の新人社会人青年(エリートぽい)と知り合いました。
  • ナーシク
    〈Nashik〉

    〈ヒンドゥー教教〉の聖地。〈クンブメーラ〉という3年に一度の大祭が行われる聖地のうちのひとつです。〈ムンバイ〉からは近いので汽車の2等自由座席で、軽い気持ちで聖地コレクションに向かいました。

  • ムンバイ
    Mumbai
    〈ナーシク〉から戻りしばらく滞在しました。合計すると一週間以上いたと思います。ほぼ毎日、インド映画を見に映画館に行きました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ナーシク】ヒンドゥー教聖地でカナダ人に…出会う|旅の玉手箱 インド編-28

【ナーシク

〈ムンバイ〉に滞在中にガイドブックを見ていたら、〈ナーシク〉というヒンドゥー教の聖地のことが目に留まりました。

あの頃には、もうすっかり聖地コレクターとなり、聖地と名の付く所には見境なく行ってみる、超ミーハーなスピリチュアルブームが私に起こっていましたので、〈ムンバイ〉からも近いのもあり、早速行ってみようとなりました。

都合のいいことに〈ムンバイ〉の安宿のドミトリーで同室だった社会人一年生のインド人青年は、研修期間だということで、まだしばらく滞在するというので、バックパックの他にすでに練習もしなくなって、ただの大きなお荷物になっていた「タブラー(インドの太鼓)」を、しばらく預かってもらえることができました。

バックパック一つでもそれなりに重量がありましたし、そこに大きな太鼓が入ったケースも一緒に抱えて移動する際の苦痛とストレスが緩和されるが嬉しくてなりませんでした。

もちろん自業自得なのですが…

〈ナーシク〉は〈ムンバイ〉から北東に160キロ程の距離でしたから、汽車で一番安い2等自由席に乗ってのんびり行きました。

降り立った駅は、特に特徴のない駅でしたが、プラットホームも閑散としていてインド人の姿も少なかったと思います。

ナーシク

驚いたのはその駅で降りた外国人がもう一人いたことです。

ヒンドゥー教徒にとっては聖地ですから、巡礼目的で訪れる人もいるでしょうが、著名な観光名所もない〈ナーシク〉に、一体何しに来たんだろう?と自分のことは棚に上げて思ったのでした。

あちらも驚いたようでしたが、見知らぬ場所では、異国者同士の暗黙の結束が自然と成立するものです。

その青年男性は、物腰の柔らかいカナダ人でした。

「何かプランはあるの?」とお互いが尋ねたかったと思うのですが、おそらく「なんとなく」というのが共通の意見だったと思います。

いわゆる〈ストレンジャー〉なんだろうなと思うのですが、自分も同じなので〈同類相憐れむ〉感覚はあったかもしれません。

旅は道連れのまま、駅を出てみると駅前はよくあるインドの町並で、その日の宿泊場所として考えていたヒンドゥー教の寺院までは少し距離がありましたので、リキシャを利用して向かいました。

大きな立派なヒンドゥー教の寺院に併設されている宿舎に泊まらせてもらうことになりましたが、宿泊代金はあるかないかぐらいの微々たるものだったと思います。

おそらくお布施や寄進のようなスタイルで運営されているのだろうと推測します。

祈り

泊まらせて頂いた部屋は四畳半ほどの広さで、全面石の床、ベッドはおろか一切の調度品、備品はなし、一つある窓には鉄格子、そのような質素な部屋でした。

何もないのがかえって清潔で、埃は積もっていませんでした。

そこは二階でしたが、扉を出ると長い廊下が左右に広がっていて、そこに宿泊できる部屋が並んでいました。

中庭を囲むようにして部屋があり、寺院からは祈りの調べが聞こえてきました。

暑い時期に石の床に手持ちの布を広げただけで寝るのは、ひんやりして気持ち良かったです。

本来は巡礼者が利用したり、修行や学びを目的とした人々のための施設「アシュラム」なのだと思います。

本来「アシュラム」=「学びの場」インドの僧院

「アシュラム」は数々あるようですが、「ヨガ」を学ぶ場所として知名度が高いと思います。

宗教的、精神的なものを学ぶ場所としての「学びの場」といった感じで、ヨガもインドの精神世界を代表するもので、心身ともに健全になり宇宙と一体になるための手段であって、インドでは修行の要素が強い印象があります。

今の日本ではカジュアルな雰囲気で健康増進のイメージが強いですが、突き詰めれば精神世界に辿り着くのが「ヨガ」の源流のようです。

ヨガ

また「アシュラム」という言葉については、日本では良くない印象を持つ人も多いと思います。

なぜなら私もインドに行ってみて知るまでは、怪しい場所というイメージしかありませんでした。

日本で世間を騒がせたオウム真理教は、インドの精神世界の表層部分をパクって利用していたのだと、インドに行って分かりました。

精神性を表すインドの言葉や風習を使用することで、それらしく見せかけていたのだと…

本来は「オーム」とは「聖音」のことですし、「アシュラム」は「学びの場」になります。

なので「アシュラム」=「信者が集まる怪しい道場」のことだと思っていたのは間違いでした。

ちなみに「サティアン」という言葉は、サンスクリット語(古代のインド語)では「真理」という意味になるようです。

HanaAkari

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