「一九八四年」 ジョージ・オーウェル著 を読んで

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一九八四年〈読書感想文〉 〈外国人〉作品を読んで
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ディストピア物語に、元々陰気な性格がさらに陰気になりました。

この物語は、近未来を描いたSF小説ですが、空想のはずなのに現実に起こりうるか、ある意味では起こっているかもしれないと思える内容に背筋が凍りました。

これほど読後に虚脱感を覚える作品は稀有なのではないでしょうか?

独特な世界観や表現に面白さがあり、ストーリーも面白いのに関わらず、曇天の空の下で憂いだけがいつまでもたなびいて尽きませんでした。

人間の暗黒面を粛々と未来小説に書き綴ったように思います。

雷

作者の心の奥には、それでも人間の可能性に期待したいという思いがあり、あえて暗くて辛い世界を描いたのでしょうが、作品の中には僅かでも光を見出せるような要素は見受けられませんでした。

一瞬、期待しかっかった場面もあったのですが、酷い事にあっさりと覆される展開に、希望の芽さえ腐れてしまったのです。

いや腐れば腐ったで、腐敗しきれば終わりなものを、残酷に腐る直前まで追い込んで、蘇生させるのですから、流石に怖くなりました。

蘇生させるという意味が、このお話では別人に生まれ変わらせるということになり、単刀直入に言うと一度廃人にして、洗脳しつくすのです。

すべては管理され統率された世界を着々と創り上げていく時代に生まれた、人間らしい要素を持つ人物の悲劇が、最後まで容赦なく描かれていました。

ディストピア物語でした。

〈暗黒郷〉とも言われますが、この世界観は映画スターウォーズの帝国側の暗黒面よりも遥かに恐ろしいものでした。

スターウォーズの暗黒面が子供騙しに思えるくらい、おぞましかったです。

しかし、それゆえにかえって現実味があり、陰気にさせられました。

人はどれ程に残酷になれるのだろうか?

また、そんなことに意味があるのですか?

と、この物語との対話が起こりました。

そして現実に起こり得る可能性もあると思ってしまえるのが、憎たらしい限りです。

暗黒郷

ディストピア〈暗黒郷〉に対して、疑問に思うところ。

この世界では、党の考え方が正義だとされていて、人々は洗脳された奴隷のようなのですが、奴隷だという認識が出来ないように、あの手この手が張り巡らされており、それが着々と浸透して行けば行く程に、自分の意見を持たない管理しやすい人間ばかりの社会が出来上がっていくのです。

白を黒とされれば、白は黒になる世界です。

ですから時に人間らしい感覚を思い出した者は、不幸です。

当局に覚られたが最後、ある日突然、存在自体が消えて無くなってしまいます。

隠れ家

徹底して拷問され洗脳させられます。

人間でないように作り変えてしまうのです。

私が同じような体験をさせられたら、ひとたまりもないでしょう、きっと。

ただ、疑問に思うことは、すべての人間を画一した存在に洗脳してまで権力を維持する理由が分かりません。

もしそんなのでしたら、せっかく生まれてきた価値が無くなってしまうように思います。

そして、どれだけ権力を行使できるようになったとしても、人間には寿命があり、100年生きたとしてもそれで終わりです。

だったら楽しいことに少しでも多く時間を費やしたいと思うのですが、多分そう思わないから〈暗黒郷〉があるのかもしれません。

当然のことながら〈暗黒郷〉を形成している人々は、〈暗黒郷〉だと思っていないのが厄介なのです。

そんなことを考えると、人間に寿命があることは救いだとすら思えます。

昇天

アダムとイブは罪を犯したからエデンの園から追放され、永遠の命を失ったそうですが、もし永遠の命があったら大変です。

どれだけ現実社会で好き放題やれたとしても、必ず死があり終わるのが救いです。

それなのになぜ権力に固執してしまうのかが、疑問なのです。

HanaAkari

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