「D」は30年以上過ぎても健在でした。吸血鬼の血だけに不滅のようです。
どうも私には懐古的なところがあるようで、時々昔のことがふと思い出され、気になってしまうことがあります。
昔を懐かしむようになるのは年を取ったからだと思いますが、こういう感覚はそれはそれで嫌いではありません。
「吸血鬼ハンターD」シリーズが現在も続いていることを知り、41冊目の「D‐暁影魔団」で久しぶりに「D」の世界を覗いてみました。
この「吸血鬼ハンターD」シリーズの一冊目を読んだのは、もう軽く30年以上前のことですから、冷静に考えてみると結構驚くべきことかもしれません。
高校生でした。
私はこのDシリーズが好きで、まだ比較的登校していた時には、授業中に夢中になって読み漁ったものです。
「ダンピール」と呼ばれる吸血鬼と人間の混血の「D」が、相棒の喋る左手と共に、永遠の命を持つ「貴族」と呼ばれる吸血鬼たちと戦いを繰り広げるというストーリーは、「D‐暁影魔団」でも健在でした。
「D」の超常的な強さには秘密があるようですが、完全無欠のヒーローという風な感じは一切なく、内に秘めた影の部分が滲み出しているところに堪らない魅力があります。
「D」は普通の人なら耐えきれず正気を保っていられないような、あらゆる全ての悲しみを背負いながらも鉄の心で旅を続けているようです。
それでいて時折見せる「D」の人間的な一面が微笑ましいですし、おちゃらけた感じの喋る左手との対照的な関係とやり取りが面白いです。
架空のSFの世界観にファンタジーの要素が合わさっていて、そこに吸血鬼を絡ませている独特の世界設定も楽しませてもらえます。
超科学も持つ「貴族」=「吸血鬼」は外宇宙にも進出しているようで、そんな「貴族」ですら宇宙の深淵には到達できていないというのを知りました。
勝利するのは無限か不死か。
この一文が素敵でした。
また菊池秀行氏の文章表現は、読み手を煙に巻くようなところがあって、想像性を試されているような印象があります。
私は煙に巻かれたまま素通りしていきますが、人によっては気持ち悪い感じに魅了されるようなところがあるのではないでしょうか?
この「D‐暁影魔団」でも、遠い宇宙で見た「何か」を幻影として見せる技が出てくるのですが、その「何か」を見た者は精神が耐えきれず破壊されてしまいますが、「何か」が何なのかは一切説明が無いのが気になってしまうところでした。
こういった後ろ髪を引かれるようなところが、にくいところです。
もう一点、非常に嬉しかったことは、天野喜孝氏の「D」のイラストが健在だったことです。
私は天野喜孝氏の影のある感じの絵が好きで、「D」と共に魅了されたのが甦りました。
イラストレーター「天野喜孝」氏の絵には、昭和世代はどこかで出会っているはずです。
「吸血鬼ハンターD」と天野喜孝氏のイラストは切っても切れない関係だと思うのですが、昭和から平成の頃に青春時代を過ごした人々にとっては、きっと何処かで目にする機会があったと思います。
「吸血鬼ハンターD」はアニメ映画にもなりましたし、RPGの王道「ファイナルファンタジー」シリーズのキャラクターデザインは有名です。
私は暗い青春時代にファンタジー小説をよく読んでいましたが、興味のあったファンタジー小説のイラストの多くに天野喜孝氏が挿絵がありました。
おたく系のところでは「エルリック・サーガ」シリーズというマイケル・ムアコック著の海外のファンタジー小説があります。
もっと遡れば、天野喜孝氏が独立する前にアニメーション製作会社〈タツノコプロ〉に所属していた頃の作品で「タイムボカンシリーズ」「新造人間キャシャーン」「科学忍者隊ガッチャマン」など、小さな子供だった私をテレビに釘付けにしたテレビアニメのキャラクターデザインも、天野喜孝氏の作品です。
月日が経過してもこういった感慨にふけり、楽しませてもらえるという環境に感謝です。
HanaAkari