- ホイアン〈Hoi An〉
居心地の良かった「ホイアン」を後にし、ビーチ「ニャチャン」に向かいました。
- ニャチャン〈Nha Trang〉
現在では、世界でも有数のビーチリゾートですが…
- ダラット〈Da Lat〉
高原の避暑地。私はここで大事件を起こしました。
- ホーチミン〈Ho Chi Minh〉
熱気と活気のベトナム最大都市。旧サイゴン〈Sai Gon〉
- モックバイ〈Moc Bai〉
ベトナムとカンボジアの国境
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ホーチミン】都会の魅力と見どころと|旅の玉手箱 ベトナム編-9
【ホーチミン】
これまでと違い喧騒の町でした。
ベトナム最大の都市だけあって、人、交通量、空気の汚さ、熱気、活気というものが他とは全く違い、いわゆる都会です。

「ホーチミン」では次に「カンボジア」に行く為のビザの取得等の必要な作業と、日中は買い物、近郊への観光、夜は毎晩「ビア・ホイ」という安いベトナムのビールで、ほろ酔いの毎日を送りました。
バックパッカー向けの安宿街「ファングーラオ通り」の近くにあった、バーベキューを食べられるローカルなお店で、知りあった旅行者のグループで毎晩「ビア・ホイ」で盛り上がりました。
日本の「ピッチャー」のような感じの大盛りで「ビア・ホイ」を注文できましたので、おもいっきり飲めましたが、「ビア・ホイ」の容器が薄っぺらの、ぶよぶよのポリタンクで、工業用の液体でも入っているかのように見えたのが笑えます。
味は薄味で水で薄めたビールといった感じで、アルコール度数は低いのか?酔いの回りが遅いので、とにかく量は飲めました。
ある夜、ほろ酔いで気持ちよくなっていたので、町中をぶらぶらと目的もなく散歩してたら、古い紙幣やコインの入った大きな額縁を持った、子供たちの集団がやってきて「おみやげ、おみやげ」と片言の英語でその額縁を私に押し付けてきました。
しつこくまとわりつかれて鬱陶しいのできつく追い払おうとすると、突然、蜘蛛の子を散らすように退散していったのですが、その時に私は「サパ」で買った民族柄の肩掛カバンをしていたのですが、何気に手を当てたら、コンパクトカメラで膨らんでいたはずの中身の感触が無くなっていたのです。
ジッパーがないカバンだったので不用心でしたし、勝手の知らない町を酔っぱらってダラダラ歩いていた私の落ち度でしたが、あの頃は「盗んだ者が悪」としか思えなかったのです。
「すられた」ことに気づいた瞬時に頭に血が上った私は、ただちに走って子供たちを追いかけました。
どこをどう走ったかは全く分かりませんが、かなりしつこく追いかけましたが、最終的には見失いました。

それでも諦めのつかない私は、近くにいた関係のないベトナム人を捕まえて、「子供、どこ行ったァ~」と英語でまくしたてていると、大半のベトナム人は驚いた顔でこんな奴に関わると迷惑だと言わんばかりに逃げて行きましたが、その中に冷静な人がいて「警察に行ったら」とアドバイスをくれました。
警察に連れていってもらい、できない英語で事情を説明できたのが不思議ですが、強烈に怒っている時は文法はめちゃくちゃでも、なぜか英単語がスラスラと出てきますが、聞く耳は一切ないのでヒアリングは全くだめです…
質の悪い日本人はそれでも気持ちが静まらず「お前の国は一体どうなってるんだァ~」とずっと喚いていましたが、この辺りになると日本語しか発していなかったですが、恥ずかしながら全て私のことです。
自分の価値観でしか物事を見ていなかった証拠ですし、この後、周囲にいたベテランの旅行者達からも「日本じゃないんだから、気を付けないと命に関わることにもなりかねないよ」と諭されました。

ホーチミンでは買い物も楽しみました。

ベンタン市場
東南アジアの国々には日本では見ないような形態の巨大な市場がありますが、ホーチミンでは「ベンタン市場」に観光と買い物を兼ねて行きました。
ごちゃごちゃと小さいお店が、所狭しと軒を連ねていて独特の熱量と染み付いたような匂い、人の思惑の交錯する雰囲気はとても魅力的で、見ていて飽きないのですが、あまり長居すると私は疲れてしまうような場所でした。
暑さと日焼け対策で、風通しの良い生地で「パンツ」をオーダーメードで作りました。
キャットバーム
「タイガーバーム」ならぬ「キャットバーム」という「タイガーバーム」のオマージュ品のような、かわいい軟膏が売っていましたので買いました。
十円玉くらいの小さな赤いブリキの容器に、猫の絵が描いてあるデザインのメンソール系の軟膏で、日本の「メンソレータム」のようなものでした。
「タイガー」を「キャット」にしているところが面白い発想で気に入りましたし、小さいので邪魔にならないのが良かったです。
虫刺されの時にかゆみ止めとして使っていると、すぐに使い切ってしまいました。
ベトナム国旗デザインの「Tシャツ」
赤地に黄色の星が一つのベトナムの国旗をそのままデザインした「Tシャツ」で、赤一色に胸に大きな黄色の星が一つある、シンプルなデザインの「Tシャツ」を購入し、旅行中の衣装として長い間着ました。
「オバケのQ太郎」にでてきた「ドロンパ」のようだったので、私は「ドロンパ・Tシャツ」と名付けていました。

ベトナム以外の国でそのTシャツを着ていると、赤に黄色い星が「社会主義国」のデザインですので、「あなたは共産主義者ですか?」なんて質問をされることもありましたが、買った時はそのようなことは一切考えなかったですし、ただの遊び心でしたので、政治的なことが気になる人もいるのだと教えられた感じでした。
友人はバックパッカー御用達の旅行会社「Sinh Cafe」の「Tシャツ」を買っていましたが、無難なデザインで、ベトナムに行ったことがある人には大抵分かる「Sinh Cafe」のロゴが入った、当り障りのないものを買っていました(笑)
もちろん本人の自由ですが、大きなことを言う割に「無難にまとめやがって」と内心、思っていました。
ちなみに当時、この後に行く「タイ」では「レッドブル」のTシャツがバックパッカーに人気でした。
「レッドブル」発祥の地は「タイ」のようです。
「Sinh Cafe」のツアーで近郊を観光
クチ・トンネル
ベトナム戦争で「ベトコン」と呼ばれたベトナム人の難攻不落の秘密基地が、地下に張り巡らされた「トンネル網」でした。
ベトナムの人は「クチ」近郊に総延長約250㎞にも及ぶ「トンネル網」を掘り、巧みに利用してゲリラ戦を展開したようです。
「クチ・トンネル」に実際に入ってみると、トンネルの狭さに驚きました。
観光で入っていける範囲を入口から出口まで通り抜けるだけでも、曲がりくねっていて、息が詰まりました。
かなり腰を屈めて進んで行かないといけないので、体格の大きいアメリカ兵が攻略できなかった理由の一つだそうです。
ベトナム人が小柄で細身の体格だったから可能だった、トンネルの広さだと説明されました。
カオダイ教総本山
当時の私でしたらあえて観光したいと思わなかったでしょうから、記憶はあいまいですが、恐らく「クチ・トンネル」ツアーとセットになっていたのかなと思います。
「カオダイ教」はベトナムで起こった新興宗教です。
教義などは分かりませんが、建築物はとにかく「派手」でした。
独特な世界観のテーマパークといった感じで、何か一線を越えてぶっ飛んだ芸術だと思います。
私は好きです。
メコン・デルタ

大河「メコン川」が海に到達する場所が大湿地帯「メコンデルタ」ですが、日本の三角州とは規模が違いますし、大半は整備されてもいません。
入り組んだ支流と張り巡らされた水路を小舟に乗って巡りました。
一言で表すなら「ジャングル・クルーズ」です。
私は鬱蒼とした木々の中の茶色い水の上をボートで進んでいると、若干恐怖でした。
底の見えない茶色い水の中に、何か恐ろしい生物がいたら嫌だなぁと思ってしまい、絶対に水の中には落ちたくないと思いました。
泳ぎは得意な方ですので溺れるとかではなく、いないはずですが、「ピラニア」や「ワニ」やさらには「未知の生物」がいたら…と考えてしまいます。
泥を含んだ「茶色い水」は栄養分を含んだ、動植物にとって恵みの水なのですが、私は「何か怖い」です。
すみません、ただそれだけです。
HanaAkari