このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【アヒンサー】最大の武器「非暴力」は理想論か?|旅の玉手箱 インド雑学編-33
【アヒンサー】
古代インドの言葉、サンスクリット語で「アヒンサー」は「非暴力」という意味です。
あらゆるものに対して「非暴力」を貫く信念のようで、生物の殺生、すべての暴力、言葉や思考においてもという極論的な教義です。
インド独立の父、マハトマ・ガンジーは「アヒンサー」を武器に現実に闘った方ですが、偉大な魂と称されるのは当然だと思います。
自らが犠牲になることで、相手を改心させるのが最善の道として、その精神を貫いた行動は、かつてイエス・キリストが十字架に掛けられた行為と被って見えます。
キリストの言葉「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」という教えの根源は、「アヒンサー」に繋がるのでしょう。
極論的な観念なのですが、完全に諦めてしまうことは人間として生まれて来た価値を全否定してしまうことになりかねません。
相反する「目には目を歯には歯を」という気持ちだけになってしまうと、そこは無慈悲な修羅の世界にしかならないでしょうから、せっかく生まれてきた価値が無くなってしまいそうです。
「目には目を歯には歯を」VS「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」
綺麗ごと言っていたら生きていけない。
どこからか一方的に武力侵攻してきたら、破滅だ。
「右の頬を打たれたら左の頬を差し出せ」に軍配が上がるとは到底思えません。
しかし大袈裟に考えないで小さな個人で考えると、「相手のことを想って行動しよう」「自分さえ良ければいいという考えは捨てよう」とか幼稚園児でも分かるような話ですから、個人レベルでは出来ないこともないようにも思えるのも不思議です。
そんなところから積み上げていくしかないと思うのですが…
それでもどんな小さなことでも一時はイバラの道を通ることになりますから、何か信念のようなものがあると助かります。
いつも何かに守られているという感覚です。
それは人によっては「神」というかもしれませんが、私の場合は「ご先祖様」です。
はっきりと目には見えないものだけれど、そういった心の支えがあれば、理想の美学だと言われるようなことでも、少しずつ可能になっていくのかもしれません。
HanaAkari