- サールナート〈Sarnath〉
日本寺で一ヶ月程、滞在させてもらいました。精神的なことに興味が起こった場所になりました。 - デリー〈Delhi〉
真冬の〈ラダック・レー〉行きの飛行機の手配をしました。〈デリー〉発の飛行機が取れずに〈チャンディガル〉発の飛行機が手配できました。フライト日まで日数があったので、〈デリー〉より北部の地域を巡ってみることにしました。 - アムリトサル〈Amritsar〉
〈デリー〉から北西に位置し、パキスタン国境とも接するパンジャーブ州〈アムリトサル〉はシーク教徒の町です。シーク教徒の男性は宗教的な理由からターバンを着用している人々です。
- ダラムサラ〈Dharamsala〉
〈ダライ・ラマ14世〉が住む場所。中国から亡命した多くのチベット人のためにインド政府はこの場所を提供しました。そういった事情から〈チベット亡命政府〉があり、チベット人が多く住むインドの町です。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【アムリトサル】ターバンインド人の聖地|旅の玉手箱 インド編-13
【アムリトサル】
デリーで〈ラダック・レー〉行きの飛行機のチケットを確保しました。
デリー発~レー着の飛行機の予約が取れなくて、行きは〈チャンディガル〉発の飛行機しか取れず、帰りはデリー着の飛行機の手配になりました。
〈チャンディガル〉はデリーの北部に位置する、計画的に造られた町です。
フライトの日にちまで日数があったので、それまでに〈チャンディガル〉周辺を巡ってみる計画を立てました。
まずデリーから行った先は〈アムリトサル〉です。
〈チャンディガル〉も近く、パキスタンと国境を接する〈パンジャーブ州〉にある、シーク教徒が多く住む町です。
インド人のイメージとして真っ先に思い浮かぶのは、頭にターバンを巻いた姿だという人も多いと思いますが、私もインドに行く前まではそうでした。
実際はシーク教を信仰する人々だけの風習ですので、ヒンドゥー教徒が大半を占めるインドでは、ターバン姿のインド人はあまり見かけませんでした。
ただ、〈アムリトサル〉はシーク教徒の町だけあって、多くの人々がターバン姿でした。
またターバンを巻くのは男性のみですので、女性のターバン姿はありません。
私の印象ではパンジャーブ州の人々は、体格ががっちりしており、骨太の人が多いようでした。
なので見た目に威圧感がありましたが、宗教倫理がしっかりしているようで、常に騙しに警戒が必要だったインドの中では気を緩めることが出来た場所でした。
付け加えますと騙しの多い場所は外国人観光客がよく訪れる場所でしたが、地方や田舎に行けばそんな問題は殆んどありませんでした。
〈アムリトサル〉でにはシーク教徒の聖地「ゴールデンテンプル」があり、黄金に輝く寺院には毎日多くのシーク教徒が訪れていました。
シーク教徒以外の人も自由に出入りできたので、私も何日か通ってだたゆっくりと時を過ごしてみました。
「ゴールデンテンプル」=「ハリマンディル・サーヒブ」の心地よさ
私はシーク教徒ではないですし、シーク教の教義もほとんど知りませんでしたが、ちょうど精神世界のことに興味を持ち始めた時期でしたので、聖地とか寺院とかに訪れることが訳もなく嬉しかった時期に、ゴールデンテンプルに行けたことは良かったのかもしれません。
人工的に造られた池の周囲は綺麗な白大理石で囲まれていて、池に映えるゴールデンテンプルの姿は荘厳でした。
池では沐浴をする人もいましたし、池の畔で胡坐を組んで、瞑想まがいな時間を過ごすのも気持ちが良かったです。
寺院からは常に、シーク教のお経が音楽と共に聞こえてきました。
寺院の中でも多くのシーク教徒に混じって、ゆっくりと腰を下ろし、読経と音楽に酔いしれました。
意味が全く分からないから、かえって良かったのかもしれません。
ヒーリング音楽を聴くような感じで、日頃の煩悩をしばし忘れることが出来たのでした。
非常に心地よい場所でした。
〈シーク教〉について
〈シーク教〉は比較的新しく生まれた宗教で、発祥はインドがムガール帝国の時代、16世紀初頭です。
覚者「グル・ナーナク」が啓示を受けて、人々に伝えたのが始まりです。
イスラム教とヒンドゥー教の教義を合わせて、良いとこ取りをしたような感じがあります。
個人的にはどれだけ素晴らしい悟りも宗教という形になってしまうと、時を経て人々の思惑が重なってしまい、核心から遠ざかってしまうことが多いように思っているのですが、「グル・ナーナク」のようにその時の価値観(宗教観)に囚われずに、より良く改善していく行為は大事なのではないでしょうか?
お釈迦様やイエス・キリストも初めは、当時の価値観からすると反社会的であったと思います。
だけれども大切な部分が人々の心に作用して、受け入れられ、次には利用され歪められる、そのような歴史のようですが、どの宗教でも神髄には常に変わらないものが、きっとあるのだと信じたいものです。
HanaAkari