「機動戦士ガンダム 3」 富野由悠季著 を読んで

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読書感想文〈ガンダム3〉 〈日本人〉作品を読んで
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「初代ガンダム」の小説が電子書籍で読めました。アニメとは大きく違ったストーリー展開で、三部作の中で一番登場人物の心模様に刮目しました。

小説版の機動戦士ガンダム三部作の中で一番登場人物の個性が光り、心模様が交錯しているので非常に面白かったです。

三部作の中で一番好きです。

古い記憶に残っていたアニメ版のイメージとは大きく異なって、小説版のオリジナルストーリーの展開も、この三作目では衝撃の展開になって非常に驚きました。

その分、登場人物の人間模様に深みが増したようで、理想と現実の間や、大人の事情とか、どこかで不本意ながらも、そしなければならないというしがらみと葛藤があり、フィクションなのに現実のことのようなリアルさを感じました。

ガンダム

言い訳があり、それを正当化しないとやってられないといったような、絡み合った捻くれた感情です。

戦争には付きものの裏切りや寝返りといったものがありながらも、ニュータイプ的な感覚がそこに何かしらの光明を見出す可能性のようなものを垣間見せてくれました。

その辺りが、この小説版機動戦士ガンダムの魅力だと思います。

「自分のことを悲しい人間だと思うか?」と質問したキシリアへの、シャアの返答がこんな感じでした。

「その言葉が悲しいと思うけれども、人はそういうものだと理解します」

悲しいからこそニュータイプに期待せずにはいられません。

アムロ流に言うとすれば、「悲しい人の性(さが)に、幸あれと思いたいもの」です。

最後にあとがきを読んで、私には少し思いが深まることがありました。

あとがきの締め括りの記載に、「昭和62年、インド、ベナレスにて」とありました。

富野由悠季氏はインドへ行ったことがあったようです。

私もインド、ベナレスに行ったことがあるのですが、「そうかぁ~」というような謎の共鳴がありました。

この作中での「二ュータイプ」とは?

ニュータイプ

「ニュータイプ」とは、てっきり超能力者のことを表現しているとばかり思っていましたが、小説を読んでみてそれとは少し違うニュアンスだったのだと分かりました。

覚醒した凄い人のようなものではなく、人間同士分かり合える能力に長けた人が「ニュータイプ」のようなのです。

人々が自然に理解し合うことができ、協調し合い調和のとれた未来を描ける人、描こうとする人、なんかそのような人を「ニュータイプ」と表現しているようでした。

凝り固まった固定概念の外側を見ることができ、そこに行ける人、そんな感じでした。

その「ニュータイプ」が葛藤に悩みながら、未来に向けて生きようとしている世界が「ガンダム」の世界だったようです。

時代を先取りして生まれてきた人の苦悩を見えました。

HanaAkari

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