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旅の玉手箱【カルカッタ】〈インド編-3〉

旅の玉手箱 〈インド〉旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • プンツォリン
    〈Phuntsholing〉〈ブータンの町〉
    〈プンツォリン〉では良縁に恵まれ、貴重な体験をしました。出会いあれば別れありで、ここで〈バングラデシュ〉から一緒に旅をしていたHさんとは、別々の行程でインドを楽しむことになりました。
  • カルカッタ
    〈Calcutta〉

    〈カルカッタ〉まで来てごっちゃごちゃしたインドらしい、噂で聞いていたインドの光景に出くわした感じがありました。ごみごみした町並、人の多さや貧困とその逆の格差が大きかったように思います。その後の旅行プランとビザの関係もあり長居せず、4日程の滞在で〈デリー〉に向かいました。現在はベンガル語読みの〈コルカタ〉になっています。

  • デリー
    〈Delhi〉

    〈カルカッタ〉から〈デリー〉まで、一気に列車で移動しました。寝台列車の2等席を使っての初めての長距離移動でした。それから〈デリー〉には移動拠点として何度も訪れることになりました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【カルカッタ】〈マザー・テレサ〉がいた場所ですが、私はなんちゃってバックパッカーだったということを改めて思います。|旅の玉手箱 インド編-3

【カルカッタ

バングラデシュからインドに入国してから、インド北部のダージリン、ブータンの一端を巡ってきましたが、〈カルカッタ〉に来て、初めて噂で聞いていたインドらしさを肌で強く感じました。

カオスの国インド、カルチャーショックの国インド、鬱陶しいインド人、これまでに出会ったバックパッカーが口を揃えてインドのことをこう表現しました。

そして、一番面白い国、魅力的な国という意見と、二度と行きたくないという意見とが、真っ二つに割れる珍しい国でした。

そんなインドに対して、先入観通りの光景が〈カルカッタ〉にはあったように思います。

ただ鬱陶しいインド人にはデリーから出会ったので、〈カルカッタ〉では人のことで特に問題がありませんでした。

雑多な汚い街並みも〈バングラデシュ〉を先に見ていたので、見慣れた光景でした。

カルカッタ

ガンジス河の下流域のインド、ベンガル州の一部が宗教の問題から、〈東パキスタン〉として〈パキスタン〉の飛び地になり、その後、〈パキスタン〉から独立して誕生した国が〈バングラデシュ〉ですので、ベンガル地域という背景は同じです。。

インドはヒンドゥー教が多く、バングラデシュはイスラム教徒が多いということです。

〈バングラデシュのダッカ〉で取得したインドの観光ビザが3カ月ビザだったので先を急ぐ必要がありました。

通常6カ月ビザが普通でしたから、なぜそうなったのかは分からないのですが、3カ月以内にインドを一度出る必要がありましたので、これまで同行していた6カ月ビザを持っているHさんと足並みを揃えることが出来なくなりました。

インドは広いので行きたい場所の選択肢も多く、取捨選択をする必要があったのです。

〈カルカッタ〉は魅力的な町だと思いますが、当時の私はかすった程度で通りすがったものですから、あまり覚えていることはありません。

なんちゃってバックパッカーというものは、そんなもんです。

カルカッタ ハウラー

ただ、〈カルカッタ〉は長期滞在する旅行者が多くいた場所でした。

その中の多くの人は〈マザー・テレサ〉の設立した「死を待つ人々の家」のボランティアに参加していました。

崇高な志を持って〈カルカッタ〉を訪れている方々が多くいたことに、自分のことしか考えていなかった私は驚いたのでした。

私がこの旅に出発する少し前に、ニュースでインドの〈マザー・テレサ〉が亡くなったというのを知ったのですが、〈カルカッタ〉に行くまでは〈マザー・テレサ〉はインド人だと思っていたくらいです。

〈マザー・テレサ〉はインド人ではなく、外国人だったのです。

マザー・テレサ

〈カルカッタ〉で知ったことは、「マザー・テレサ」はインド人ではなく、ヨーロッパ人だということでした。

つまり外人だったのです。

てっきりインド人だとばかり思っていましたので、無知からの思い込みは恐ろしいものです。

現在の北マケドニア共和国(旧ユーゴスラビア)、スコピエで生まれたとありますが、善意ある奇特な方だったようですね。

貧しい人々の為に奉仕の人生をまっとうするところは、しようと思っても私には出来ることのようには思えません。

多くのボランティアの方々に影響を与えた事実が、「愛」の人だったことを証明していると思います。

異国の地で奉仕の人生を貫いた「根性の人」だと思います。

HanaAkari

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