旅の玉手箱【ダラムサラ】〈インド編-14〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • サールナート
    Sarnath
    日本寺で一ヶ月程、滞在させてもらいました。精神的なことに興味が起こった場所になりました
  • デリー
    〈Delhi〉
    真冬の〈ラダック・レー〉行きの飛行機の手配をしました。〈デリー〉発の飛行機が取れずに〈チャンディガル〉発の飛行機が手配できました。フライト日まで日数があったので、〈デリー〉より北部の地域を巡ってみることにしました。
  • アムリトサル
    〈Amritsar〉

    〈デリー〉から北西に位置し、パキスタン国境とも接するパンジャーブ州〈アムリトサル〉はシーク教徒の町です。シーク教徒の男性は宗教的な理由からターバンを着用している人々です。

  • ダラムサラ
    〈Dharamsala〉

    〈ダライ・ラマ14世〉が住む場所。中国から亡命した多くのチベット人のためにインド政府はこの場所を提供しました。そういった事情から〈チベット亡命政府〉があり、チベット人が多く住むインドの町です。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【ダラムサラ】亡命チベット人の拠点|旅の玉手箱 インド編-14

【ダラムサラ

チベット亡命政府の拠点になっている町で、チベット人が多く住み、ダライ・ラマ14世の住居があります。

私はチベットの歴史のことはあまり知らなかったのですが、旅行中に西洋人が「FREE TIBET」とロゴの入ったTシャツを着ているのをよく目にしました。

1956年から1959年に起こったチベット動乱で、チベット文化の象徴である「ダライ・ラマ14世」が、インドに亡命した歴史があります。

それと共に多くのチベット人がチベットから脱出しました。

それは中国共産党によるチベット侵攻と支配から、現代までずっと歪な状況が続いています。

私は他の文化を破壊していくやり方は好きではありません。

ダライ・ラマ14世

領土問題にも絡んでくることですが、様々な人種や文化を尊重し合って、たとえ自分達と価値観が違っても、違って当然という所から、どうやったらお互いにより良く暮らしていけるのかを考えたいものです。

よく領土問題の話題では歴史的には我が国の領土だとか、いや我が国のものだとか、言い争いになるのですが、歴史がどうだとか、あーだとか、こうだとか言う前に、今どうするのかが大事なのは分かっていても、なかなか変えられないのが私たちなんだと思います。

自分さえ良ければいいと思う、傲慢な心が勝ってしまうのでしょう。

支配する社会の仕組みが変わらない限り、チベット難民のような悲しみを背負った人々は無くならないのかな?

そんな背景があっても、チベット難民の方々は明るく素敵な人が多かった印象です。

インドで生まれた2世チベット人もいたことでしょう。

〈ダラムサラ〉ではある若いチベット僧との会話がとても記憶に残っています。

ダラムサラ

若いチベット僧との会話・・・「日本人はすぐに人を信用する」

〈ダラムサラ〉の町をブラブラ散歩していたら、若いチベット僧に出会いました。

なぜか会話が盛り上がり、結構な時間お喋りしましたし、情報も貰いました。

その時にその青年が言った言葉が、とても記憶に残っています。

「日本人はすぐに人を信用するから、インドでは騙されるんだよ」

「なぜ、そんなにすぐに人を信用するんだ?」

「文化だと思う」そう返答しましたが、模範解答だったのかは分かりません。

ダラムサラ

私は長い時間、東南アジアの国々からインドまで旅をする最中に、外国では日本にいる時みたいに、人を簡単に信用しないように心掛けるようになりました。

何度もコロッと騙されることが続くと学習するものです。

「人は信用するもの」と教えてもらって育った私には、「人を信用しない」ということには悲しい気持ちになったは確かです。

「疑いから入るのではなく、信用から入る」というのが普通でしたし、それを疑うことも無かったから。

近頃の日本では、チベット人の青年が言った「すぐに人を信用しない」という心構えが必要になってしまったのは、日本人も成長したのか?たぶん劣化したのだと思います。

自然に美しく素直に生きるのが難しくなってしまっているようです…

HanaAkari

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