このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【部屋がバッタだらけ】蝗害を想像しました。|旅の玉手箱 アクシデント編-9
【部屋がバッタだらけ】
インドのバラナシに滞在していた時です。
11月頃でした。
バラナシではいつも同じ安宿に宿泊していましたが、あの時もそうでした。
ただいつもと違ったのは窓の隙間や扉の隙間から、連日体調1~2cm程の小さなバッタが大量に部屋の中に入り込んできたのです。
気密性の無いインドの家屋には、コンクリート造りの建物であっても、扉の下などには大きな隙間があるので、そこから部屋の中に何かが入り込んでくることは容易でした。
なぜバッタが?それも1匹や2匹迷い込んできたのでしたら、さほど気にはならなかったと思いますが、大量に入ってくるので落ち着きません。
虫に罪はないのですが、虫が大量にいる場所で安眠するのは、たとえそれがバッタであっても気になってしまいなかなかできません。
蚊に優しく人に厳しいインドの蚊取り線香をガンガン焚いても、バッタにはまったく効果は無く、煙でこちらが参ってしまいました。
もとよりインドの蚊取り線香は煙たいし、目がシバシバするのに蚊にはあまり効果がないような代物でしたので当然かもしれませんが、私とその時にルームシェアをしていたRさんとで、煙にむせながらお互い涙目で「駄目だわ、これ」と意思疎通をしたのでした。
あの時はどうやら、あの地域一帯にバッタが大量に発生していた模様で、部屋の中に入ってきたものはほんの一部であって、町中にさらにはもっと広域にバッタが蔓延していたのでした。
時に世界のニュースではバッタの大量発生による農作物への甚大な被害が、報じられることがありますが、それはもっともっと激しいバッタの応酬なんでしょうね。
〈蝗害(こうがい) 〉 大量に発生した殿様バッタなどが相変異を起こし、全ての草木を食べつくす恐るべきバッタの生態による被害
日本ではバッタによる農作物への被害といえば、イナゴが思いつきますが、〈蝗害〉のバッタの現象はその程度の規模のことではなく、空を覆いつくすほどに大量の凶暴化したバッタによって、農作物のみならず、すべての草木を食い尽くされてしまう恐るべき現象です。
阿鼻叫喚の世紀末のようなイメージを持ち、恐ろしいものです。
食べるものを食べつくしながら移動していくという、傍若無人な一方的な略奪行為のように見えてしまいますが、バッタは何を考えているのでしょうか?
癌細胞に似ているようにも思えてしまいます。
癌細胞は宿主から栄養を搾取しながら増大してゆくのですが、最終的には宿主はそれによって命を落としてしまうことになり、癌細胞も同時に死に至る、自滅の道を突き進むような……
農薬の普及で〈蝗害〉の被害は減少しているようですが、果たしてそれが正解なのかも分かりません。
メッセージ性のある〈蝗害〉「沈黙のある春」にも繋がる⁉
旧約聖書に、古代エジプトで奴隷とされていたイスラエルの民をモーゼが先導し、脱出をする「出エジプト」の話がありますが、脱出の前に神はイスラエルの民を救出するために「十の災い」を起こし、エジプトを災厄に陥れます。
その内の一つに〈蝗害〉があります。
特定の民だけを救う神というあたりには違和感を覚えますが、〈蝗害〉は神からのメッセージとして考えてみるのは悪い事ではないと思います。
自然の調和が大きく乱れてしまった結果の反動という風にも考えられなくもありません。
近代の話では、中国では毛沢東の時代に農作物を食べる雀を撲滅させる運動が行われ、雀は絶滅寸前にまでになりました。
その結果、天敵のいなくなったワタリバッタが大量発生したり、他の農作物に被害を及ぼす害虫が大量に発生し、農作物への被害は拡大してしまい、大飢饉に拍車が掛かってしまいました。
レイチェル・カーソンの「沈黙の春」という書籍には、農薬によって虫が死滅し、エサの無くなった小鳥まで死に至り、春に小鳥のさえずりが消えてしまったというレポートもあります。
有害に見えるのは狭い範囲で自分の都合でしか物事を見ない人間の勝手であり、本当は「害」などという概念がおかしいのかもしれません。
神の概念は分かりませんが、バランスが大きく崩れると、その反動があるということなのは事実のようです。
HanaAkari