言葉の小槌106 word is magic【無邪気】

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言葉の小槌③ 言葉の小槌〈101~150〉
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無邪気な人は憎めないところがあります。

無邪気な大人に接すると憎めない場合が多く、羨ましく感じたりすることがありますが、大人はどうしても計算高くなって、何気に邪気を含んでしまっている場合もあるのように感じますが、邪気は無い方が心地良いようで、素直な生き方なのかもと思ったりします。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【無邪気】悪意の無い言動は愛嬌で憎めません。|言葉の小槌106

【無邪気】

無邪気な人は憎めないところがあります。

下心を感じないからそうなるのだと思うのですが、少し変な事を言っているなと思っても、軽く受け止めることが出来ることが出来たりします。

微笑ましく思えてほのぼのとした気持ちになる場合が多いですが、子供の無邪気さは時に残酷に映る場合もあったりします。

悪意は全くないけれど、虫の足を平気でちぎったり、潰したりしますので、教育は必要なんだろうと思うシーンです。

無邪気な大人に接すると憎めない場合が多く、羨ましく感じたりすることがありますが、大人はどうしても計算高くなって、何気に邪気を含んでしまっている場合もあるのように感じますが、邪気は無い方が心地良いようで、素直な生き方なのかもと思ったりします。

子供は敏感に邪気を察知したりしますので、大人の責任は大きいのかもしれません。

無邪気

「性善説」と「性悪説」に当てはめてみますと

孟子 荀子
〈性善説〉孟子 〈性悪説〉荀子

私見ですが、人の本性は生まれ持って善であるとする「性善説」と、本来は悪なのだが教育で善性が育まれるとする「性悪説」がありますが、無邪気な子供の残虐な行為は「性悪説」の方に一票入るように思います。

学習して成長する中で、良い方向に向かっていくのかな?

反面、車に轢かれそうになった人を、自分の命のことを顧みずに無我夢中で助けに飛び込むことが出来る人もいたりしますので、「性善説」にも一票ですし。

結局はどっちでもないのかもしれません。

見る側からの視点やどこを見るかで変わってくるのでしょう。

善でも悪でもないけれども、自ら進んで邪気をはらむ必要は無いように思うのと、無邪気さだけでは時に暴走してしまいそうなので、思考することも大切なんだと思いました。

子供のような無邪気さを失わないで、無邪気ながらも賢い人が魅力的な人かもしれません。

HanaAkari

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