言葉の小槌137 word is magic【びびんちょ】

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言葉の小槌③ 言葉の小槌〈101~150〉
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「そろそろ散髪に行きなさい、ボサボサになってるやないの、もう、びびんちょなんやから」

つまり「びびんちょ」な恰好や思いはさせたくないという、愛情です。

このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。

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【びびんちょ】昔私の母がよく口にした昭和の響き|言葉の小槌137

【びびんちょ】

「びびんちょ」は、「せこい、貧乏臭い、みすぼらしい、小汚い」そのような意味で、私の家では母がよく口にしていました。

似たような意味で「いんけつ」という表現もありましたが、我が家ではもっぱら「びびんちょ」がよく使われていました。

例えが、髪の毛が伸びてきて少し納まりがが悪くなった、私のボサボサ頭を見て母が言いました。

「そろそろ散髪に行きなさい、ボサボサになってるやないの、もう、びびんちょなんやから」

「まだいいよ、めんどくさいやん」と返すと、「びびんちょなこと言いなさんな」といった展開になりました。

私の幼少の頃の昭和時代には、戦後の物資が乏しく貧しい時代を経験した両親には、倹約の精神が当然のようにあった反面、豊かになってきた時代でもあったので、我が子には出来るだけ良い恰好をさせようとする見栄も強かったと思います。

それは服なども年長者が使えなくなった「おさがり」を順に若いものが着るのが当たり前だった時代に、自分たちが感じた後ろめたい気持ちを、自分の子供にはさせたくないとい親心だったはずです。

つまり「びびんちょ」な恰好や思いはさせたくないという、愛情です。

私が幼少期の頃は、そんなみすぼらしさが町の風景にはありましたが、瞬く間に世の中が豊かになって変貌していったものですから、今となってはもう少しあの頃のような、生命力のあった大衆の文化を楽しめる期間があっても面白かったかもしれないと思います。

貧乏神

私の昭和40年後半から昭和50年代半ば頃までの昭和感

まだファミコンもなく、遊びはもっぱら外ですることが多かったです。

ゲーム機が出てくる前までは選択肢が少なかったので、自然とそうなったのだと思います。

室内での遊びといえば、トランプ、花札、かるた、ボードゲームといったものでした。

初和風

私がやったお外での遊び

《凧あげ》お正月には凧あげは定番でした。日本凧よりも「ゲイラカイト」という三角形をした、海の向こうからやってきた凧をよく上げました。

《コマ回し》今ではお正月の出し物のような感じになっていますが、昭和の子供は普通にやっていました。

《竹馬》私は熱中しました。竹製ではなく、金属とプラスチックのものでした。物干し棹に高さ調節ができる足場が付いたような作りでした。

《ビー玉》ビー玉を手の親指と小指を付けたまま伸ばした先から弾いて、決めたゴール地点まで誰が一番早く行けるかといった遊びがありました。

《べったん》数人で絵が印刷された厚紙を地面に置いて、順番に上から自分のべったんを地面に叩きつけて風圧で他人のべったんをひっくり返せば勝ちでした。牛乳瓶の蓋でもやりました。

《ゴムとび》大きな輪になったパンツのゴムを、二人の人間が肩幅くらいに広げた両足に掛けて、二本のゴムのラインを作り、そこを決まった動きで足を引っかけながら飛ぶのが楽しかったです。女の子に人気の遊びでしたが、私は近所のお姉さんたちに交じってよくやりました。

「ノータイム」という遊びで、低いところからクリアーしていくと、二本のラインの位置が少しづつ上に上がっていき、難易度が上がるという仕組みでした。

《プラスチック製のレモンと紐が一体化したやつ》30㎝くらいの紐の先にプラスチック製のレモンが付いている遊び道具でした。レモンと逆側の紐を足首に固定して、自分でくるくる回して紐が引っ掛かからないように飛び越えて遊びました。

個人的に意外性があって楽しかった遊び道具です。

ゲイラカイト
ゲイラカイト

花柄のデザインが目立ちました。

なぜか家電や様々な物のデザインに花柄が多かった印象があります。

炊飯器、ポット、容器などにバラの花が描かれていたりするのが定番だったのかもしれません。

昔の西洋風の花柄のようでしたが、なんか安物のロココ調といった感じでした。

今でも布団や絨毯などで見かける花柄に似ていますが、家電なんかに描かれていたものはそれの安っぽいスタイルでした。

下手に花柄を使うと華やかにしたつもりが、逆に安っぽく見えたりしますが、それはそれで味があって良いものです。

ちょっとアレンジなんかした、昭和花柄の復活があれば面白いなと思っている次第です。

花柄

いつしか「演歌」が心地よく聞けるようになるようになる。

多分ですが、人は歳を重ねると昔のことが懐かしくなり、当時は何とも思わなかったり、毛嫌いしていたものに魅力を感じ出すのだと思います。

「演歌」が典型的な例だと思います。

子供時分は何が良いのかさっぱり分からず、歌番組で演歌が出てくると邪魔な存在のように思っていたのですが、今では「演歌」って良いものだと感じています。

「心に沁みる」といったような表現が素直に入ります。

そんなことを言われても、何が「心に沁みる」のかはさっぱり分かりまんでしたし、「お決まりで言っているだけでしょ」くらいに考えていたのにです。

この心境の変化にはまったく驚き桃の木山椒の木です。

それ以上に多感な生命力溢れる頃によく聞いた歌なんかは、たまに耳にしたりすると色々甦ってきて、堪らなくいいものです。

熟成されたいぶし銀の響きに酔いしれてしまいます。

HanaAkari

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