時には顔を赤らめるのも人間らしくて、悪いものでもないとも思えるのです。
私は子供の頃は赤面症が恥ずかしくて仕方がなかったのですが、ちょっと客観的に考えてみると、別に恥ずかしい事ではないように思えます。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【赤面症】人間らしく可愛げがある普通のことかも|言葉の小槌130
【赤面症】
私は子供の頃はとても強烈に赤面症が出る性質でした。
それは今でも、大きな感情の動きがあればそうなりますが、特別気になる程のものでは無くなっています。
時間と共に価値観や考え方が変化したことが、精神面にも影響したのが一番大きな要素だと考えていますが、慣れるということもあると思います。
そして、時には顔を赤らめるのも人間らしくて、悪いものでもないとも思えるのです。
以前はポーカーフェイスでいつでも冷静な人を羨ましく思ったものでしたが、別にそうでなくてはいけないという決め事があるわけではありません。
ポーカーのような賭け事をする場合は不利ですが、向いていないことには向き合わないことで避けることができるので問題になりません。
何となくですが、こうあるべきだという思いが自分に強ければ強い程、そうでない出来事に遭遇した場合に「失敗した」、「上手く出来なかった」ことから恥ずかしくなって、赤面してしまったのではないでしょうか。

赤面するような場面はどのような時か?
赤面症の原因は、性格に影響されている割合が多いように思うのですが、どんな時に赤面するのか考えてみました。
恥ずかしい時
まず一番最初に思いつくのは、恥ずかしい時でしょう。
恥ずかしい事が原因ならば、恥ずかしく感じなければ赤面しないということなります。
恥ずかしさに慣れるのが自然な赤面症の改善方法かもしれません。
恥ずかしさに上手く鈍感になれればいいのかも。
他人と比較したり、他人の意見に一喜一憂しないようになれればいいのですが…
怒った時
激怒した時は顔が真っ赤になりますが、感情が激しく昂った時は赤面するのはある意味、普通のように思います。
この場合は強烈な怒りに振り回されなければ、顔が赤鬼のようになってしまうことがなくなりそうです。
怒りで赤面しない人は悟りの境地に達して、生きながら涅槃の境地にいる人なのかな?
力んだ時
重い物を持ち上げようとしたり、動かそうとする時など、歯を食いしばって力を入れると赤面します。
身体に力を込めるとそうなる場合がありますが、一生懸命さが見て取れて悪い気はしません。
逆に一生懸命やっていても涼しい顔でしたら、真剣にやっていないと見られることもありますので、赤面する方が得なような感じがします。
嬉しい時
心から喜ばしいことがあった時には、ぽっと顔を赤らめることがあると思います。
好きな人から告白されたりすると、純粋な気持ちがあれば、一瞬、頬に紅が差すことでしょう。
素敵な赤面です。

赤面症は感情の昂ぶりが起こす、人間らしい反応ではないでしょうか?
私は子供の頃は赤面症が恥ずかしくて仕方がなかったのですが、ちょっと客観的に考えてみると、別に恥ずかしい事ではないように思えます。
ただ感情の昂ぶりを示すバロメーターのようなもので、感情のある人間なんだということですので。
怒りで爆発しそうな程に赤面するのは度を越していると思えますので、上手くいなすことも必要でしょうが、恥ずかしい時や、嬉しい時にぽっと顔を赤らめるのは、人間らしくていいものではないですか?
例えばプレゼントを渡した時に、顔色一つ変えないで受け取られるよりも、はにかんで頬を赤らめてもらえる方が可愛げがあります。

世知辛い世の中で冷めてしまい感情を抑え込んでしまうよりは、素直な心で赤面症も人間らしさの一つだとして、楽しくやっていきたいものです。
HanaAkari