恐怖心から自然と腰が引けるのですから、それを克服するには怖くても前に体重を掛かるように意識的にしないと上達出来ませんでした。
恐怖があるから腰が引けているのに、心が前に行けと反応する時は、相反する状態が私の中でせめぎ合っている時なので、一番辛い時かもしれません。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【腰が引ける】そんな時こそ逆の発想も必要かもしれません。|言葉の小槌149
【腰が引ける】
恐怖によって逃げ腰になり、体が前に向かうことを拒否しているような状態のことを「腰が引ける」と表現します。
実際に恐怖心が起こる状況の場合もあれば、「気が向かない」ような場合にも使われますが、体は正直なもので、恐怖心がある時には実際に後ろに体重が偏り、及び腰に自然となります。
スキーをしていた頃のことですが、少し慣れてきてスピードを出して滑ることが出来るようになってくると、その次には恐怖で腰が引けるという段階で一旦、つまずいてしまいました。
初めてスキーをした時だけ、初心者講習でボーゲンから教えてもらいましたが、ちょっと慣れてくると我流でも我がも顔で調子に乗って滑ったものでした。
そしてスピードを出せるようになると、今度はそのスピードで恐怖心が起こり、腰が引けてしまい、大転倒するまで止まれないという事態に陥る時期がありました。
我流でやっているとその辺りから、次の段階に上達するのに手間取ったのですが、なにせ楽しかったので思いっきりオーバースピードで滑れるだけ滑って、大転倒を繰り返すのも面白かったのです。
スキーをする時は、恐怖から体重が後に掛かることを後傾状態になると言いましたが、後傾になるとスキーだけがドンドン前に走り出し、スピードが上がりコントロールが出来なくなってしまうのでした。
自分では後傾になっているのは気が付かないもので、傍から言われても何のことを言われているのかすら分からないものでした。
ただスピードだけが上がり、コントロール出来なくなるのは事実で、それが腰が引けている証拠でした。
スピードをコントロールするには、前に体重を掛けてエッジを利かせる必要があるのですが、頭で理解していても体が言うことを聞かないから、どれ程大転倒したことでしょう。
恐怖心から自然と腰が引けるのですから、それを克服するには怖くても前に体重を掛かるように意識的にしないと上達出来ませんでした。
そうやって少しづつ慣れてくると、コントロールが出来るようになって、さらに急斜面に挑戦してはまた腰が引けるといった具合でした。
腰が引けそうな時こそ、勇気を出して前に進むことはスキー以外でも、人生の大切な要素かもしれません。
私は逃げることが駄目なことだとは考えませんが、腰が引ける時にも勇気を振り絞って前に進むべきことも必要な時があるかもしれないとも思っています。
そういった時は腰が引けているのに、心は進むべき方向を分かっているようなことがあるいう具合です。
恐怖があるから腰が引けているのに、心が前に行けと反応する時は、相反する状態が私の中でせめぎ合っている時なので、一番辛い時かもしれません。
大きな出来事はそうそうないにしても、そのような自己矛盾はしょっちゅう起こっているのではないでしょうか?
まずこれまでの癖で反応してしまうから、その曲者にとって都合の悪い場合には腰が引けるのは当然なのでしょうが、その曲者を打破しようとするこれまでにない違う自分が誕生してくると、葛藤からしばらくは厄介な時を過ごしてしまうものです。
一旦通り過ぎると何でも無かったかのようなことなのですが、自分の癖は自分にとっては時として曲者であるのは間違いようです。
曲者が腰を引かせて、頑なに後ろ髪を引っ張る時には、開き直って目を閉じながらでも突っ込んでいくということも、時として大切なのかもしれないと思います。
「良薬口に苦し」ですか。
HanaAkari