「人生の終着駅が「死」だとしますと、もしも死後の世界があったとして、魂の終着駅は何処なのでしょうか?」
「終着駅」はあの白い太陽だと思います。
このブログは言葉から連想したことを自由に書いています。時に勇気や喜びをもらえたり、慰められたり、癒されたり、言葉には力があるように思います。そんな素敵さや楽しさを少しでも表現できたら幸いです。
【終着駅】人生の旅の終点はあの白い太陽なのかも?|言葉の小槌39
【終着駅】
「終着駅」という響きが好きです。
到達という達成感と最後なのかという哀愁と、二つの顔を持ち合わせているからです。
人生の終着駅が「死」だとしますと、もしも死後の世界があったとして、魂の終着駅は何処なのでしょうか?
死んだら分かると思うのですが、私にはこのようないくら考えても答えが分からないことを考えてしまう癖があります。
最終的には結論は出るはずがなく、死後のことは死んだら分かるので「死んだ時のお楽しみにしておこう」という決まった着地地点に落ち着きます。
ただ、魂の終着駅はもしかしたらそういうことかもしれないと思うような体験を一度だけしたことがあります。
ある集団での瞑想に参加した時のことですが、もしかしたら誘導とか催眠かもしれませんが、あの時は深く入って行ったのでしょう、気が付けば自分が上昇しているのが分かりました。
自分の姿は分かりませんでした。
周りを見ると魂のようなものが沢山同じように上昇していました。
魂のようなものは日本のイラストとかでよく目にする、丸い玉にひょろひょろとした尻尾がある人玉のようなものではなくて、似てはいるのですが、西洋型の魂というのか縦長のひょろひょろしたものでした。
一発の大玉の打ち上げ花火が、ひゅるひゅるとゆっくりと上がっていく感じです。
それが無数にありました。
不思議と魂だと認識できて、私もそのうちの一つだと分かりました。
色は白色で、その世界全体にカラフルな色は一つもなかったです。
その世界は全体的にほのかに明るくて、白色しか分かりませんでした。
全ての魂が向かっている先には白色の太陽のような光の塊があり、みんながそこに向かって粛々と上昇していました。
「終着駅」はあの白い太陽だと思います。
私は肉体が胸の辺りから持ち上がって行き、もしくはそう感じただけなのか、次には胸の辺りが痛くなり、そして怖くなって現実に戻ったのですが、胸の辺りから魂が白色の太陽に向かって出ていこうとしていたのだと思うのです。
私はその経験から魂の居場所は胸の奥ではないかと推測しています。
そして究極の「終着駅」はあの白い光の塊の正体である、何かなのかもしれません。
HanaAkari