旅の玉手箱【デング熱】〈アクシデント編-1〉

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旅の玉手箱 (デング熱) 旅の玉手箱〈アクシデント編〉
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このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【デング熱】良い経験になりました|旅の玉手箱 アクシデント編-1

【デング熱

「デング熱」今なら笑い話で済みますが、しばらくはあまり思い出したくも無かった病気の記憶です。

タイのビーチで発症した時には異常さは感じていたものの、あれ程大袈裟なことになるとは思いもしませんでした。

「デング熱」は蚊によって伝染する伝染病ですが、私の体験では発熱と悪寒が尋常ではなく、意識朦朧とした状態が続きました。

南国の日差しが降り注ぐ炎天下でも、悪寒が止まらず、冷たい物を口にしたり、冷房の効いている所に行くと寒くて寒くて震えが止まらなくなりました。

デング熱

タイのパンガン島でその異常が初めて発現したのですが、おかしいとは思いつつも深刻には捉えていませんでした。

とはゆえバンコクに戻る時だったので、バンコクでは病院に行こうと思っていたのですが、ちょうどバンコクに到着した日から「ソンクラン」という国民の休日で連休が始まったのです。

宿泊したカオサンロードの外国人向けのレストランなどは、通常通り営業していましたが、町全体はお休みモードでした。

私はその時バックパックが重たかったので、カオサンロードの旅行代理店が運営していた貸しロッカーに大半の荷物を預けて、小さなバック一つで行動をしていました。

それが「ソンクラン」の祭日で、旅行代理店が連日休みになり、荷物を出すことが出来なくなってしまったのです。

その中に海外旅行保険の証書があったので、病院に行く時には必要だと考え、バンコクに戻ってからも数日間病院に行きませんでした。

その間にも市販の熱冷ましの薬を服用していたら快方に向かうかもしれないと、淡い期待はしていましたが、それはまったくの幻想でした。

日に日に体力は落ち、食欲はどんどん無くなってゆき、最後にはほとんど食べることが出来なくなっていました。

夜になると決まって熱が上がってきて、寒気が酷くなったのですが、日中は辛うじて動くことができたので外出しました。

目は虚ろで意識は朦朧としていたのですが、まだ20代半ばという若さもあり動けたのかもしれません。

「ソンクラン」というお祭りは別名「水掛け祭り」でして、人々は町中でお互いに水を掛け合いながら、祝日を祝うものだったのも、私にとっては過酷なものになりました。

水掛けは外国人だからといって除外される訳はなく、全ての人に一様に行われますので、意識朦朧としている私もその対象者でした。

どちらかといえば、ぼう~っとした外国人は遊び心のあるタイ人からすると格好の鴨で、私は水を集中的に浴びせられ、そのうえ絵の具のようなものを、全身にベタベタ触られながら塗られる始末でした。

そして悪寒が発動し震えが止まらなくなり、炎天下のもとなのに一人ぶるぶると震えていました。

悪寒

そんないきさつもあり、祭日が終わり病院に行って検査を受けた時には、「デング熱です。すぐに入院して下さい。死にますよ」と言われたのでした。

確かにあの病気で人生で初めて自分の「死」について意識したの事実です。

一週間入院しましたが、初めの数日間は点滴のみで寝たきり状態でしたが、保険があったので最上級の個室に入ったので、皮肉なことに普段宿泊していた安宿とは比べものにならない程の贅沢さがありました。

「デング熱」で入院中は、これまでを振り返る良い機会になりました。

身体が弱ると弱気になるものです。

あの時、入院した時にはそろそろ日本に帰ろうかと真剣に考えました。

日本を出た時には漠然とですが数カ月くらいで帰るだろうと思っていたのですが、時間の経過は早いものでして、入院した時には半年くらいは経過していました。

タイの次にはミャンマー、バングラデシュ、インドという予定でしたので、ここで日本に帰らなければ、先が長くなるのが予想されました。

タイは飛行機を使うにあたっては、一番都合が良い国だったので、どうすべきか悩んだのでした。

8割くらい帰る方向に気持ちが傾いていました。

入院生活は考え事をするには最適でしたし、時間がありましたので色々と考えることが出来たのは有難かったと思います。

入院

正直なところ日本に帰って何かがしたかった訳でもなく、ただこのまま旅行していたとしても、目新しい物事に触れられる楽しさはあるものの、それ以外に一体何があるのだろうか?ただの逃避旅行ではないのか?という葛藤と向き合う機会になったのです。

あの頃は友人の誘いに乗って日本を出てから、ほとんど友人任せで旅行をしていたので、旅を心の底から楽しんでいなかったことが分かります。

本当に旅に出て良かったと思う事になるのは、インドで友人とは別の旅を選んで、一人で行動するようになってからでしたので、デング熱で入院している時は、日本に帰るか?帰るまいか?の選択をずっと考えていました。

その時にほぼ帰国を決めている状態から、続行に切り替えた理由は、「ここで帰ると、これまでただ色々な国を見て回っただけになってしまう。何かが違う。うっすらと旅に期待していた何かが分からないままに終わってしまう」そう思ったからです。

今、帰っても帰らなくても、どっちを選んでも後悔するような気がして、悩んだ末、続行を決めたのでした。

今から思うと一つのターニングポイントだったのでしょう。

大きな意味が後から付いてくることもあるのだと知りました。

続行したのは正解だったと思っています。

「ソンクラン」タイの水掛祭りは新年の祝い事です。タイには新年が3回あります。

高熱

通常ならば熱帯の国での水掛けは気持ち良く、楽しいはずです。

たまたま私の場合はデング熱に罹っていたことで、特殊な状況でのことになっただけですが、それもまた「ソンクラン」というお祭りを、特別な状態で体験出来た思えば儲けものだったということでしょう。

熱病によって意識朦朧といている最中に、水鉄砲や時にはバケツで水を掛けられ、ベタベタと体中を触れてたのは、マゾ気質の私にはもってこいだったのかもしれません(笑)

「ソンクラン」という祭日はタイで行われる3回の正月のうちの一つとのことで、タイでは一年に3回のお正月があるということには驚きです。

太陽暦の1月1日のニューイヤーと、旧暦(太陰暦)の旧正月、そして「ソンクラン」はタイ式の新年という感じになるのでしょうか?

タイのお国柄を感じます。

HanaAkari

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