「ビルマの竪琴」 竹山道雄著 を読んで

※本サイトはアフィリエイト広告を利用しています。
ビルマの竪琴 〈日本人〉作品を読んで
スポンサーリンク
スポンサーリンク

多少なり辛い事、悲しい事を経験した今だから、分かった感動がありました。

「ビルマの竪琴」のことをふと思い出し、私が小学校の時、夏休みの宿題にあった読書感想文の課題書で、確か読書感想文を書いことがあったなぁ~と記憶を探ってみましたが、内容は全く出てきませんでした。

あの頃、「ビルマの竪琴」の映画が製作されたようで、テレビでもその映画のCMを良く目にしたのは憶えていて、「おーい、水島。一緒に日本に帰ろう」というセリフだけが、記憶としてありました。

家族旅行で金沢、富山に旅行に連れて行ってもらった旅先の合間に読んで、やっつけで読書感想を書いたのも記憶にあり、本の内容だけが忘れ去られていることが気になったので、今更ながら一読することにしました。

今になって読んでみると内容を憶えていなかったのは、当然かもしれないと思いました。

あの頃の私は、苦労も知らない幸せな子供だったので、ピンとくるところに気が付かなったのでしょう。

戦争をテーマにした小説ですし、「人間とは?」などと、一度も考えたことがなかった頃の私にはほとんど理解出来なかったかもしれません。

児童文学として子供向けの本ではありますが、むしろ大人の方が読むべき本だと思います。

それ程に素晴らしい内容に感動しました。

もちろん純粋な心を持つ、子供たちには嫌々課題として読むのではなく、是非心から楽しんでもらいたいと思います。

今でも戦争の絶えない世界ですが、そういった問題に対しての何かしらのヒントがあるようにも感じました。

フォレスト

物語はビルマの地で日本の敗戦を迎え、捕虜となった日本の部隊の話です。

合唱によって強い絆で繋がった一部隊は捕虜収容所で、帰国までの時間を過ごすのですが、「竪琴」の上手な水島上等兵一人が、事情により部隊の人々とは別の運命の道へと向かいます。

葛藤、切なさ、感動、言葉にすると安っぽいですが、そのようなものが全て、素晴らしい物語の中に織り込まれていました。

捕虜となった日本兵が、ビルマ人の生き方について議論する場面があります。興味深い場面です。

ビルマで捕虜となった日本兵達が、ビルマ人の生き方について議論を交わす場面があります。

ビルマでは自分達と同じ年頃の若い青年男子が僧侶となって、袈裟を着て修行をしているが、自分達の国では若者はみんな軍服を着た…

そのことを議論し合います。

一生に一度軍服を着けるのと、袈裟を着るのと、どちらの方がいいのか?どちらが進んでいるのか?国民として、人間として、どちらが上なのか?

「軍服」は文明や物質的な豊かさを象徴しているようで、「袈裟」は未開の貧しさと我欲のなさを表しているような感じで、議論が展開されていきます。

いつも議論は堂々巡りをし、どちらかが良い?どちらが上?だという結論には至らないのですが、この議論の落としどころが、良い感じで好きな部分です。

ビルマ人は深い教えに従って生活していて、未開などと言うことはとうていできない。

我々の知っていることを彼らが知らないからとて、馬鹿にしたら大間違いだ。

彼らは我々の思いも及ばない立派なものを身につけている。

しかし、それだけでは弱々しく、外から敵が攻め込んできたら自分達を守ることができないから、浮世のことでは損な立場にある。

もう少しは浮世のことも考えなくてはいけないだろう。

この世はただ無意義だと決めてしまうのではなく、もっと生きていることを大切にしなくてはいけないだろう。

ミャンマー モンク

息を呑みながら読んだ、水島上等兵からの手紙。

水島上等兵は行方不明になり、捕虜生活を送っている部隊の人々とは別の人生を送ります。

水島上等兵そっくりのビルマ人の僧侶となって、仲間の前に現れるのですが、訳あって最後まで正体を明かさず、仲間が日本に帰る時にも、一人ビルマの地に残ります。

僧侶となってビルマで生きる決意をしたことを、手紙にて仲間に残しました。

伝言役をする二羽の青い兄弟のインコが喋ります。

「おーい、水島。一緒に日本に帰ろう」

「ああ、やっぱり自分は帰るわけにはいかない」

インコ

ビルマの地で亡くなった同胞を弔うために、この地に残ることを決断した水島上等兵が言います。

私は僧として修行しながら、知りました。

昔から、この教えは世界と人生について驚くべき深い思索を続けています…それは目に見えぬ精神の砦を陥れるための戦いなのです。

我々はこうした努力をあまりにしなさすぎました…我々が重んじたのは、ただその人が何ができるかという能力ばかりで、その人がどういう人であるか、また、世界に対して人生に対して、どこまで深い態度をとって生きているか、ということではありませんでした。

我が国は戦争をして、負けて、苦しんでいます。それは無駄な欲をだしたからです。思いあがったあまり、人間として大切なものを忘れたからです…ただこの国の人々のように無気力でともすると酔生夢死するということになっては、それだけではよくないことは明らかです。

我々は気力もありながら、もっと欲が少なくなるように努めなくてはならないのではないでしょうか。それでなくては、ただ日本人ばかりでなく、人間全体が、この先もとうてい救われないのではないでしょうか?

僧 一人

最後に「ビルマの竪琴」ができるまでの項を読んだ時に思ったこと。

作者はこの小説は完全なフィクションで創作されたそうですが、創作に当たるにつれて様々な偶然の後押しのような出来事があったようで、必要な情報や、アイデアがこの作品を創作させるために、向こうから自然に集まってきたようだったみたいです。

まるで、世に出る必要があったかのようです。

昔からある児童小説ですが、いつに時代になっても人には重要な、心ある美しい物語だと思いますので、そういうことなのかとも改めて考えさせられました。

一人でも多くの人に読んでもらいたい思いました。

HanaAkari

タイトルとURLをコピーしました