旅の玉手箱【メイミョー】〈ミャンマー編-4〉

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旅の玉手箱 〈ミャンマー編〉 旅の玉手箱〈ミャンマー編〉
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ミャンマー国内での動き
  • マンダレー
    Mandalay
    〈ヤンゴン〉に次ぐ大きな町であり、古都としての面影もありました。〈メイミョー〉にはここから行きました。
  • メイミョー
    Maymyo

    標高が高い場所にあり、イギリス植民地時代に避暑地として開発された町です。確かに西洋風の雰囲気がありました。小奇麗な所でした。

  • マンダレー
    〈Mandalay〉

    〈メイミョー〉から戻り、次に〈バガン〉に行く前の拠点でした。

  • バガン
    〈Bagan〉
    バガンの仏教遺跡群は〈世界三大仏教遺跡〉の内の一つとされています。ここで〈世界三大仏教遺跡〉訪問をコンプリートしました。
  • ヤンゴン
    〈Yangon〉
    次はバングラデシュに飛びました。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【メイミョー】過酷な移動で到着時は憔悴しきってしまいました。|旅の玉手箱 ミャンマー編-4

【メイミョー

高原の町「メイミョー」にはかつてのイギリスの植民地時代の名残りがあり、西洋風の面影がありました。

標高が1100メートルと高い場所のため、避暑地として開けただけあって、過ごしやすかったのは間違いありません。

町中には花壇も多くあって、管理された花が綺麗だなと思ったのでした。

メイミョー

ただ、特別見どころがあったわけではないので、他に印象に残っていることは、マンダレーからメイミョーまでの道のりが過酷だったことくらいです。

それについては「旅の玉手箱 乗り物編‐6〈ソンテウ〉」でも書きましたので、良かったらそちらも読んでみて下さい。

とにかく過酷だったマンダレーからメイミョーまでの移動。

正直どれだけオンボロでもバスはあるものと考えていたのですが、マンダレーからメイミョーまでのバスは見つけることは出来ませんでした。

タイでは〈ソンテウ〉と呼ばれている、乗り合いの小型タクシーのようなものでの移動となりました。

マンダレーのちょっとした広場のようなところが、バスターミナルのような役割になっていて、雑踏の中に〈メイミョー〉行きの、乗り合いタクシーを見つけました。

すでに満席で、大きなバックパックを車内に持ち込むことも出来ず、最後部から突き出している台座のようなところに立った状態で乗りました。

バックパックを背負ったまま車外の手摺りにしがみついての移動でした。

マンダレーからメイミョーまでは、地図を見た限りさほど遠くなかったので、このままでも大丈夫だろうと思っていたのですが、それ程簡単なことではなかったのです。

道は凹凸が多く、車体はよく跳ねますし、途中で乗客を降ろしたり乗せたりしながら行きますから、なかなか時間を要しました。

メイミョー近くになってくるとカーブの多い上り坂が続き、その頃には体力は消耗しきっていたので、気力だけでなんとか車体にしがみついていたのでした。

メイミョー

ミャンマーの人々には譲り合いの精神が自然と根付いているようで、お年寄りに席を譲ったりする光景は微笑ましかったのですが、いつまでたっても人が減らず、私は最後まで座席に着くことはありませんでした。

今となれば面白い経験でしたが、あの時は心身共にギリギリでした。

そういうこともあってメイミョーではゆっくりと過ごしただけです。

幸いなことにメイミョーからマンダレーに戻る時は、始発みたいなものだったので座席に座って帰ることができました。

HanaAkari

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