イエスをはじめ、母マリア、家族全員の葛藤がとてもリアルでした。
霊界通信というところが興味深いですし、たとえ神の声を伝える為にこの世に生まれたイエスであっても、子供時代があったのは当たり前のことなのに、これまで意識していなかったのが不思議なくらいに思いました。
やはり、メシアという冠が先に意識に上り、崇拝の意識が起こるからだと思います。
それはキリスト教徒でなくても、キリストは雲の上にある憧れの対象ではないでしょうか?
「霊界通信 イエスの少年時代」の素晴らしいと思う点は、大人には必ず子供時代があり、そこには人それぞれの歴史がある、それはイエスという特異な人物であってもそうだというところです。
そんな当たり前のことを奇跡の人として祭り上げてしまったことで、これまで見落としてきたことが多くあったかもしれません。
人の子ならば、それがイエスであっても悩み苦しんだはずだし、一体どのように乗り越えることが出来たのだろうか?案の定、娑婆世界と天の御心に間で苦しむイエスの子供時代が見えてきたのが、不謹慎かもしれませんが嬉しかったです。
イエスは偉大な方ですが、同じ人間として思い悩みながら成長していったのだとしたら、大切なことは欲望という垢にまみれた人間社会において、たとえ凡人であってもイエスの爪の垢を煎じて飲むつもりで、日々少しづつでも成長することが出来るかもしれないと思えることでした。
しかし特殊な能力を持って生まれたイエスが周囲から嫌われ、いじめられても、健気に生きる姿は涙ぐましいものでした。
また、色の違いすぎるイエスの言動は、イエスの家族間にも確執を生み、それぞれが各々の立場で葛藤する姿がとてもリアルでした。
時に自分の利益のことしか考えない大人たちに担がれて利用され、用が無くなったり都合が悪くなると手の平を返される、現在でもよく見る展開がありました。
それでも子供の時からイエスは一貫して、答えはそれぞれの胸の内にあると言っているようでした。
イエスの母、マリアの苦しみが痛々しかったです。
「霊界通信 イエスの少年時代」に描かれるイエスの母マリアは、イエスと同じように子供の頃は大勢には見ないものを感知し、幸福を謳歌する不思議な子だったようです。
天使のお告げを受け、山野の自然の中で恍惚とした時間を過ごす可憐な乙女でした。
この物語では聖書の記述通り、処女受胎でイエスは誕生します。
その後、マリアは結婚し他にも子を授かりますが、貧困の中を家族全員で生き抜いていく為に、懸命に働く生活を送ったみたいです。
天使は姿を見せなくなり、彼女の世界観は世間一般のものとなるのですが、自身が子供だった時以上に、世の常識から逸脱したイエスの言動に、心が二つに割れてしまい葛藤するのです。
その時代の常識的な価値観に染まっていたマリアに、イエスは彼女の内なる心を思い起こさせたのです。
一人の母としてイエスを愛しますが、彼女には他にも愛すべき子がいますから、家族の中で煙たがれる変人イエスだけを依怙贔屓することもできません。
問題ばかりを起こし世間との確執を大きくするイエスの存在によって、マリアは愛すべき我が子と、手の施しようない問題児との間で悩み苦しみます。
世間の常識を生きることに頑張ってきたマリアに、イエスの言動が彼女が忘れかけていたものを思い出させ、思い悩むことになってしまう。
どちらが良いのか悪いのか分かりません。
マリア自身で彼女の答えを見つけないといけないのでしょうが、とても痛々しく感じました。
もしかしたらイエス以上の苦痛だったのではないかと思います。
イエスはある意味、突出して振り切っているところもありましたから、自分を見失うことがないけれども、マリアは母の愛を背負いながら、揺れ動く心情と向き合わなけらばいけないのですから。
HanaAkari