- シリグリ〈Siliguri〉
〈バングラデシュ〉北部にある国境からインドに陸路で入国し、その日のうちに〈シリグリ〉まで行きました。〈シリグリ〉に到着した頃は日が暮れ始めていました。初めに見つけた安宿に取り敢えず部屋を確保しました。 - ダージリン〈Darjeeling〉
〈ダージリン・ヒマラヤ鉄道〉を使って行きました。おもちゃのような機関車が急こう配をゆっくりと上って行く登山鉄道です。〈ダージリン〉は紅茶の産地で有名ですが、時期が悪かったのか、毎日霧が深く寒かった記憶があります。
- プンツォリン〈Phuntsholing〉〈ブータンの町〉
〈プンツォリン〉は〈ブータン〉の町です。この町だけビザが無くて外国人も簡単に入国できました。国境の門をくぐった先がブータンの町〈プンツォリン〉でした。人種も違えば文化も違うので、一気に異国に来た感じがありました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【ダージリン】汽車と紅茶と濃霧と寒さと|旅の玉手箱 インド編-2
【ダージリン】
〈シリグリ〉の町から「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」のおもちゃのような機関車に乗って、のんびりと向かいました。
ダージリンティーで有名な紅茶の産地という知識はありましたが、山岳地が紅茶の産地だということについては後に知ることになりました。
インドの平野部は暑く、雨季と乾季がはっきりと分かれていて、全体のイメージとしては乾燥地帯のように見受けられましたが、標高の高い山間部は緑が多く、寒いくらいでした。
〈ダージリン〉のことを考えるとなぜか、今も旅行中も私が小さかった頃に子供らが口づさんでいた「インドの山奥、でんでん虫転んで、かあ~ちゃん、なんちゃら……」という替え歌が思い出されます。
そんな遠い想像のインドの山奥に、実際におもちゃのような機関車で向かっているのは、嬉しくてワクワクしながら、「インドの山奥…」の替え歌を声に出さずに一人、針の飛んだレコードのように「でんでん虫転んで…」のところまでを何度も繰り返し歌っていました。
そんなインドの山奥〈ダージリン〉はとても寒かったです。
6月頃だったと思うのですが、薄いウインドブレーカーしか防寒着を持っていなかったので、寒さに震えました。
しかも一日中霧が晴れずに深い霧の中にずっといるような日々でした。
有名な紅茶の産地でしたから、紅茶の葉を買ってきて部屋でホットティーでほんのり暖を取りました。
標高が2000メートル程ある地域ですので、平地より気温が低いのは当然なのですが、昼と夜の寒暖差が激しくて、雲海の中のような濃霧も、良質な茶葉を育むのに最適なのでしょう、地球の恵みでした。
インドの平地では「チャイ」というインド式の甘いミルクティーが主流で、ストレートティーは飲む機会はまずなかったので良かったです。
「チャイ」も美味しいのでハマりましたが、ストレートティーを好むのは緑茶好きの私には自然なことだと思います。
あと景色が良いという展望場所に行ってみましたが、霧で何も見れなかったのは残念でした。
【ダージリン・ヒマラヤ鉄道】 トイ・トレインの名の通りの機関車で可愛らしかったです。
この「ダージリン・ヒマラヤ鉄道」は世界遺産にも登録されていますが、確かに貴重な遺産だと思います。
急勾配の斜面をくねくねと行ったり来たりしながら、時にはループで切り返したり、スイッチバックがあったり、おもちゃのような小さな機関車が、とても遅いスピードで頑張って登っていくのですが、とにかくゆっくりでした。
線路の幅も狭く、昔日本でも大きな公園や遊園地なんかで走っていたような機関車が、車にどんどん追い越されながら行くのには可愛らしさがありました。
時にはぐねぐね道と並走して走る場所もあり車に乗ったインド人らが、おちょくりながら横を通り越していったり、徒歩でもぐねぐねの道なりに行かずに、一直線に斜面をショートカットすれば機関車を追い越せるくらいでした。
乗客のインド人の若者の中には、機関車から降りてショートカットと走りで機関車と勝負する者もいたりして、楽しい観光列車でした。
HanaAkari