旅の玉手箱【デリー③】〈インド編-17〉

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旅の玉手箱 〈インド〉 旅の玉手箱〈インド編〉
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インド国内での動き
  • レー
    Leh
    ひと月程の真冬のラダックは、非常に貴重で心に残る出会いや経験に恵まれました。名残惜しくも飛行機の予約の日がやってきました。その時のレー空港での後ろ髪の引かれ様は相当なものでした。
  • デリー
    〈Delhi〉
    何度も訪れているデリーでしたが、この時はダラムサラで会ったチベット人から教えてもらった、デリーでチベット人が集まる場所にある、チベット人御用達の安宿を利用させてもらいました。
  • ラジャスタン
    〈Rajasthan〉

    砂漠地帯〈ラジャスタン〉の町を巡りました。〈ジャイプル〉、〈ジャイサルメール〉、〈ジョードプル〉、〈ウダイプル〉へ。

このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。

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【デリー③】チベット人御用達の宿に宿泊|旅の玉手箱 インド編-17

【デリー③

交通の拠点としてデリーには何度も訪れていましたが、いつもはニューデリー駅近くの安宿街〈パハールガンジ〉に宿をとったのですが、この時はチベット人が経営する安宿を利用しました。

〈ダラムサラ〉で知り合ったチベット人の青年に教えてもらった情報ですが、デリーにはチベット人が集まる地域があって、そこには客の大半がチベット人の宿があり、チベット料理の食堂もあるとのことでした。

地名は思い出せませんが〈オールドデリー〉のある方でした。

ただ〈オールドデリー〉エリアではなく、そこからも少し距離があったと思います。

オールドデリー

ごちゃごちゃしたよく見るインドの街並みの一画で、狭い路地を入るとチベット人の経営する安宿があり、周囲にはチベット料理が食べられる安食堂がありました。

安宿はいつも利用する所よりも小綺麗で、チベット人たちの宿のようでしたので、インド人や外国人の姿もありませんでした。

デリーにある小さなチベットタウンのようなものだと思います。

やはり異国の地で生活する他民族にとって、寄り添い合って生活するのは自然なことなんだと思います。

規模は違えど、チャイナタウンとかと同じで、同胞のよしみは異国でほど強く感じるものです。

日本ではあまり率先して人と話をすることの無かった私でも、旅行中はよく喋りました。

日本語を話せて嬉しく思えるのは、現地の言葉が達者でない者が、心のどこかに抱いている不安が和らぐからだと思います。

そういった意味ではインド人よりも、チベット人の方が見た目や文化に共通点もあったので、日本人の私としては気が楽だったのかもしれません。

オールドデリー

「オールドデリー」地域

レッド・フォート
レッド・フォート

〈オールドデリー〉にはムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの居城だった〈レッド・フォート〉があり、周辺を警備する軍人の姿がありました。

「ラール・キラー(赤い城)」と呼ばれますが、名の通り赤い石造りの立派なイスラム式建造物でした。

インドで最大のモスク「ジャマ―・マスジット」もあり、目抜き通り「チャンドニー・チョーク」の雑多で熱気のある光景は、マサラ感満載でした。

オールドデリー
ジャマ―・マスジット

HanaAkari

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