- マトゥラー〈Mathura〉
〈アヨーディヤー〉から〈デリー〉に移動する途中に立ち寄りました。 - デリー〈Delhi〉
三度目の〈ラダック〉訪問に向けてここから北に向かいました。 - ハリドワール〈Haridwar〉
ヒマラヤのお膝元、ガンジス川上流にあるヒンドゥー教の聖地。ここで熱が出て数日間動けなくなりました。
- ローカルバスで強行移動〈無茶なバス移動〉
〈ハリドワール〉から少し北にある聖地〈リシケシュ〉に移動し、しばらく滞在するつもりだったのですが、〈リシケシュ〉のバスターミナルでここから〈マナリー〉まで直通のローカルバスが走っていると知り、突然気が変わり〈マナリー〉まで行くことにしました。〈リシケシュ〉を出発した時はまだ午前中でしたが、〈チャンディガル〉を経由して〈マナリー〉に到着したのは次の日の朝でした。非常に無茶な行動でした。 - キーロン〈Keylong〉
朝〈マナリー〉のバスターミナルに到着した時に、〈ラダック・レー〉行きのバスの情報を仕入れておこうとしたら、ちょうど日本人のバックパッカーに出会いました。この方も〈レー〉に行く予定でしたが、〈レー〉行きのバスが連日満席で取れないからどうしたものかと悩んでいるとのこと。途中にある村〈キーロン〉からなら乗れる可能性もあるというので、そのままの勢いで一緒に〈キーロン〉まで行きましたが……私は前日の朝に〈ハリドワール〉を出発し、次の日の夕方に〈キーロン〉に到着するまで、丸々一日半以上オンボロバスに揺られ続けました。
このブログは私がバックパッカーとして、1997年9月20日出国~1999年11月16日に帰国するまでの間に訪れた場所を、四半世紀後の私が思い返してみたら、一体何が出てくるのだろうか?という好奇心から古い記憶を辿り、出てきたものを書いてみることを試みたものです。
【キーロン】レー・マナリー間の宿泊場所|旅の玉手箱 インド編-33
【キーロン】
〈キーロン〉は特に何かがある訳でもなく、ほとんど何もない村でしたが、〈マナリー〉から〈レー〉に陸路で行く際には、行きも帰りも必ず一泊することになる場所でした。
このルートで〈ラダック・レー〉に行くのは二回目でした。
ただこの時は、それまでのいきさつに難があって、まさかの〈キーロン〉に二泊することになったのです。
私はほぼ丸一日に近い間、〈ハリドワール〉からローカルバスに乗りっぱなしで〈マナリー〉に到着しました。
窮屈なオンボロバスでほとんど眠ることも出来ず、朝方に〈マナリー〉のバスターミナルに到着した時にはくたくただったのですが、そこで日本人のかなり強者の男性バックパッカーと出会ったのです。
時々、職業がさすらいの旅人ではないかと思えてしまう〈スナフキン〉みたいな、筋金入りのバックパッカーがいたものです。
その方はこれから〈レー〉に行く予定でしたが、〈マナリー〉から〈レー〉行きのバスが連日満席で乗ることが出来ないので、どうしたものかと思案していると教えてくれました。
チケット売り場のインド人が言うには、〈キーロン〉までは乗れるからそこまで行き、もしかしたら翌日〈キーロン〉からなら座席を確保することも可能かもしれないとのことでした。
偶然出会った縁ですが、ここは一緒に行く方が心強いという暗黙の了解で、私は強者バックパッカーと共にそのまま〈キーロン〉を目指しました。
〈キーロン〉に到着した時には、一線を超えた疲労感がありましたが、何もすることのない〈キーロン〉村ですから、翌日の〈レー〉行きに備えて早々に寝るだけでした。
翌日、果たしてバスの座席は空いているのだろうか?不安は現実のものとなり、バスは満席で乗ることが出来ませんでした。
本当なら非常に困った事態なのですが、疲れ切っていた私には幸いで、その日一日、寝て過ごしたことでかなり体力は回復したのです。
次の日のバスには絶対に乗せてもらいたいという気持ちがありました。
あくる日、やってきたバスに座席の空はなく、当たり前ですが乗車は拒否されたのです。
しかし、ここで簡単に諦めてしまうことは論外でした。
いつまで待つことになるのか分からないですし、暇つぶしも出来ないような何もない村にいるのも苦痛です。
二人して粘りました。
しつこくお願いして座席はないけれども通路に乗せてもらうことになり、とにもかくにも一安心したのを思い出します。
しかし、標高4000メートル以上の峠をいくつも越えて行く道のりを、一日中バスの通路でやり過ごすというのは、なかなかの修行ではありました(笑)
レー・マナリーロード・・・絶景インダス川と共に
〈マナリー〉から〈レー〉までの道路は夏期にしか開通しないルートでした。
高い所では標高4、5000メートルを超す峠道ですから、冬期は雪と凍結で通行できません。
途中にある〈キーロン〉という村で一泊し、一泊二日の行程での移動でした。
景色は素晴らしく絶景で、途中から道は〈インダス川〉の流れと並行、時々交差するようになります。
大河〈インダス川〉も上流では、水は綺麗に澄んでいて、非常に冷たかったです。
軽い高山病の症状で頭痛がしたりする時もあり、道のりは過酷に感じることもありましたが、乾燥した高地の独特の風景を見るだけでも私には非常に価値があるものでした。
HanaAkari